わたしは電話が嫌いである。
といっても、たいていの電話嫌いの人がそうであるように、親しい友達との電話は別。女友達なら、一、二時間は平気でくっちゃべる。
いつぞやは、ロンドンにいる日本人の友達と、四時間四十分くっちゃべって、長電話の自己最長記録を樹立してしまった。
そのとき、うちの父ちゃんは、そんなわたしを、アウタースペースからやってきたエイリアンでも見るように、「あ、ありえない……」という顔つきで見てたっけ。
ま、それはともかく。
あまり親しくない人、会ったこともない人と電話でしゃべるのが苦手で、相手の顔が見えない電話は、どうも好きになれない。
それなのに、外国にいると、何の用事も関係もない人と、強制的にしゃべらされることが、少なからずある。たとえば、知り合いのイギリス人宅に日本人の客があったときなど、たいていかかってくる。
「今、日本から○○さんが来てるんだよ。おなじ日本人だから話も合うだろう。じゃあ替わるからね」
んもー、やめてくれよォ。
これが、実際に会うのであれば、まだいい。相手を目の前にしたほうが、年恰好などもわかるので、話題も選べるし、話しやすい。
ところが、何のつながりもない、一度も会ったことのない者が二人、いきなり電話口に呼び出されて、いくら同邦とはいえ、おたがいにいったい何を話せというのか。
わたしは怖いのだ。
何が怖いって、あの、電話での沈黙。
おたがいに話すことがなくて、黙ってしまったときの、あのシラーッとした沈黙。あれを怖がる、わたしは臆病者です、ハイ。
一般的に女性はまだしも、おしゃべりだからいいが、特に日本の男性は寡黙な人が多いので、わたしは会話が途切れないように、必死でしゃべる。そして、そのあとドッと疲れる。
だいたいが、あなた、電話っちゅー奴は、トイレにいようと入浴中だろうと、病気で伏せっていようと、おかまいなしにズカズカと人の時間に割り込んで、容赦なく電話口まで呼び立てる。失礼千万である。
もっとも、携帯電話が普及してからは「電話口まで呼び立てる」というイメージはなくなったが、携帯は夫をアッシー君として使うとき意外はほとんど使わないわたしにとっては、いまだに「呼び立てる」道具である。
それだけなら、まだいい。いや、よくはないが、百歩ゆずって、よしとしよう。だが、電話っちゅー奴は、自分が人にかけるときでも、気を使う。
今、相手は食事のしたくをしている時間じゃないだろうか。特に小さな子供のいる友達は、子供を風呂に入れてる時間じゃなかろうか、寝かしつけている時間じゃなかろうか。
と、あれこれ考えると、それだけでもう、電話をかける気が萎える。そうやってグズグズしているうちに、かける時間を逸してしまうのだ。
だから、たいてい「今、話してていいの?」と相手の都合を聞く。それはマナーとしては合格かもしれないが、「長電話になってもいい?」という意味に取れることもある。
こっちはそんなつもりはなくても、この言葉は、忙しい人には警戒心を呼び起こすこともあるようだ。
ああ、めんどくさい。
だからオイラ、嫌いサ、電話なんて。
先日、そんな電話嫌いに輪をかける出来事があった。外出していたあいだに、隣町に住むK子さんが、日本の本を小ぶりなダンボール箱に詰めて、持って来てくださった。それが、玄関のドアの横に置いてあった。
これはちょいと説明を要するが、わたしたちのようにイギリスの田舎に住む日本人は、日本の本が容易には手に入らない。もちろん、ロンドンに行けば日本の書店や古本屋もあるが、なにしろ値段が高すぎる。
単行本だと、日本の定価のニ〜三倍する。雑誌でも、日本で八百円くらいの文芸誌がロンドンだと、ニ千円以上する。
古本屋で、やっと定価で買える、という按配だ。書籍にそんなお金をかけられないので、わたしたちは古本を回し読みする。
K子さんのロンドンにいる友達が、自分の読んだ本をダンボール箱に詰めてK子さんに送り、それを読んだら、K子さんはわたしに回してくれる。そして、わたしはそれを別の友達に回す、というわけだ。
さて、本のお礼を言わにゃならんが、もう夜も遅かったので、次の日、土曜日の朝に電話をすることにした。
受話器を取ろうとして、しばし考える。
今、電話して良い時刻なのだろうか。
K子さんは東京の出身で、自分のことを「あたくし」とおっしゃる、上品なおばあさまである(わたしとはエライ違いである)。
若い人なら週末は朝寝がしたいだろうが、年金暮らしの彼女は、朝は早いのではないだろうか。だったら、今してもいいんじゃない?
いやいや、だからといって、早すぎてもいけない。わたしは食事中にかかってくる電話が嫌なので、人にもそんな時刻にかけたくない。そうやってぐずぐずしているうちに、九時半になった。この時刻なら朝食は済んでいるだろう。
そう決断して、電話をかけると、K子さんが出た。わたしは本のお礼を言った。彼女とわたしは、年に一度会うかどうかの間柄なので、友人というよりは知人である。
だからといって「本をありがとうございました。では、さようなら」というわけにはいかない。(それができたらどんなに良いかと思うけど)
ご無沙汰していますが、お元気ですか? どうしていらっしゃいますか? の挨拶から始めるのだが、孫がいてゴルフとブリッジが趣味のK子さんとの間に、共通の話題は乏しい。
だから長話になるわけはないのだが、あまりに短くても素っ気ないと思って、必死に言葉を繋いでいると、
「あの、もう、そろそろ。お電話代がかかりますよ」
とおっしゃった。
へ? わたし、そんなにしゃべったっけ? まだ、そんなに時間は経ってないはず……。そう思ったので、
「あら、そんな。電話代なんて知れてますよ」
と言って、それからハッとなった。
うわあああ、バカ、バカ。なんてバカなこと言ったんだろ。そうじゃないんだ。これは、もう切れという合図なんだぁ〜!
K子さんは隣の町に住んでいる。だから本当に電話代は知れている。わたしも市外電話や国際電話の場合は、相手の電話代を気にして、自分のほうから「もうそろそろ切らないと」とうながす。
しかし、市内の場合は電話代のことなんか、考えたこともない。だからきっと、電話代がかかるというのは、切るための口実なんだ。
えーッ、でも、なんで、なんで? なんで切りたいんだろ? わたし、何か失礼なこと言ったかしらん? いや、失礼もなにも、まだそんなに会話はしてないじゃないか。
でも、本当にひさしぶりなんだから、K子さんだって、もうちょっと愛想ふりまいてもバチはあたらんぞ。
いやいや、彼女は今、何か用事をしている最中で、早く電話を切り上げたいのかもしれない。それとも、今朝は何かの都合で、いつもより遅い朝食をとっている最中とか。
あっ、もしかしたら、これからデートでお出かけかも(七十五歳の未亡人の彼女に、イギリス人のボーイフレンドがいることは知っていた)。
うわあ、なんてニブイんだろ、わたしって。
そんなら、そんなら、早く切らないとッ。
でも、待てよ、ここでいきなり切ったら、「電話代なんて知れてます」と言った手前、おかしなことになる。
ほうら、やっぱり電話代を気にして、そう言ったらすぐに切ったじゃないか――そう思われるんじゃないか?
もしかしたら、K子さんはものすごいケチで、本当に人の電話代まで心配しているのだろうか。いやいや、やっぱり彼女はわたしのおしゃべりにウンザリしているのだろう。
ああ、もたもたしてないで、早く切らなきゃ、早くッ。
あせりまくったおかげで、血圧は上がるわ、冷や汗はかくわ。なんとか適当に話を結んで、受話器を置いたときには、ストレスでヘロヘロになっていた。
まったく。電話一本で、なんでこうも悩まなくちゃならんのだッ。これがメールなら、相手の時間を取らなくてすむし、こんな不愉快な思いもしなくてすむのである。
ああ、めんどくさい。
だからやっぱり嫌いサ、電話なんて。
★ トップページへ