ドサッ。ドサッ。ドサッ。
毎週日曜の朝八時ごろ、玄関で鈍い、重そうな音がして目が覚める。新聞が届いた音だ。
なにしろ、日曜の新聞は付録がどっさり、読み物どっさり。イギリスの郵便受けは玄関のドアについているが、それはポストの受け口だけで、受ける箱はついていない。
だから、郵便物は、ドアの口から直接床に落ちることになる。付録たっぷりの分厚い新聞は、一度にポストの口を通らないから、新聞配達の少年は三回に分けて入れる。
それがこのドサッ、ドサッ、ドサッという三連音となって、二階の寝室まで聞こえてくるってわけ。
付録といっても、日本のような折り込み広告は、いっさいない(わたしにとってあれは、メモ用紙として貴重な資源だったけど)。
たまに、薄っぺらな通販のカタログが入ってくるが、あのドサッの正体は、すべて記事なのだ。
朝からしょぼしょぼと遣る瀬ない雨の日曜日などは、わたしはタイムズの付録をかかえてベッドにもぐり込む。本紙の方は夫が先に読むので、わたしは付録のほうから攻める。
そのうち夫が、朝食を持ってきてくれる。ホールミールの薄いパンをカリッと焼いて、その上に厚さ五ミリくらいあるセヴィル・オレンジの皮が入ったシックカットのマーマレードを塗ったトースト。それにミルクティ。
ベッドで朝食を食べながら雑誌を読むというグータラが、むふふふ、わたしにとって一週間で一番の至福のときなんだよね(夫は安上がりなワイフだと喜んでます)。
さて、このサンディタイムズに付いてくる薄っぺらな雑誌に、《ミセス・ミルズがあなたの悩みを解決いたします》というコラムがある。
ミセス・ミルズが何者なのかはよく知らないが、これを深刻な身の上相談として読むと、バカを見る。
読者から寄せられる質問も「それがどうした」的軽薄さなら、回答も、「あんた、人をおちょくってんのか?」的無責任で応える。
しかしこの軽さのなかで、包含されているイギリス社会の現実が、ピコッと点滅するときがある。だからわたしは、つい読んでしまうのだ。
先日、こんな問答が載っていた。
「ぼくは、この夏にフィアンセと式を挙げます。先日、彼女の両親の家に用があって寄りました。
家には彼女のお母さんだけがいて、ドレッシングガウンを着ていました。ちょっと様子が変だなあと思っていたら、なんと驚いたことに、ぼくにこう言ったのです。
『わたしはこれから二階にあがるけど、もしあなたが後からついてくれば、あなたと寝てもいいわよ。でも、ついてこなければ、それでもいいわ、お好きなように』
ぼくは家の外に出ました。するとそこに、フィアンセと彼女のお父さんがいて、『信頼度テストに合格おめでとう!』というではありませんか。
お母さんの誘惑は、ぼくが信頼できる男かどうかを試すために、一家で仕組んだ芝居だったのです。
でも、じつはぼくは、停めてある車からコンドームを取ってこようと思って、外に出たのです。このことは黙っているべきでしょうか?」
ぎゃっはっは、義理の母親とヤっちゃおうとしたんだ。どうしょうもない婿やなあ、ったく。で、ミセス・ミルズの回答がまた、お笑いなんだ、これが。
「黙ってなさい。もし正直にしゃべったら、あなたは、はり倒されるでしょう。でも黙っていれば、あと数ヶ月もすれば、またお誘いがあるかもよ〜ん」
婿に「信頼度テスト」をしなければならないくらいなら、やっぱり信用ないんだろうなあ。実際、彼はヤル気満々だったんだし。
また、母親の方だって芝居にかこつけて、案外とその気があったかもしれんぞ。もっとも、こういう場合、母親のほうも「まだまだ捨てたもんじゃない」というレベルの容姿であるという条件が、必要だろうけど。
それにしても、若き日のダスティン・ホフマン君、映画『卒業』を思い出すシチュエーションじゃありませんか。サイモン&ガーファンクルの『サウンド・オブ・サイレンス』が流れてきたりして、おお、なつかしい……。
って、なつかしがってるバヤイじゃなくて、これ、イギリスの一流新聞だよ。タイムズに匹敵する日本の一流新聞が、こういうの、載せる?
載せないでしょう? そのあたりに、両国のジャーナリズムのスタンスにおける、大きな違いを感じるのであります。
イギリスに「ミルクマン」という、それを聴けば誰もがちょっとニヤッとする言葉がある。ミルクマンとは牛乳配達人のことだが、「間男」の代名詞として、よくコメディなどに登場する。
ミルクマンが配達に来て、玄関のドアの前の床にミルク瓶を置く。すると内側から音もなくドアが開いて、かがんだ彼の目の前に女の白い脚がのぞく。
そこにはピンクのネグリジェで嫣然と微笑むマダムが……。夫が出勤したあと、ミルクマンを相手にいけないことしましょ、という、昔からよくあるコントである。
ずいぶんと前のことだが、これと似たような実話を、わたしは耳にしてしまった。
うちのキッチンの流しをやりかえるとき、ディックという配管工のおっちゃんに来てもらった。彼は、夫の友人宅で仕事をしたことがあって、腕がいいからといって紹介されたのだ。
歳のころは60くらい。引退してもいいんだが、動いたほうが体のためにいいからね。動けなくなるまで働くさ。てな感じの、孫の5,6人もいようかという好々爺だ。
休憩時間になってわたしがお茶を出すと、なんとなく世間話が始まった。紹介してくれた友人夫妻の話になったとき、ディックがビスケットをほおばりながら、少々声のトーンを落として、こんな話をしたのである。
「いやあ、驚いたねえ、あそこの奥さん。二度目に行ったときに、様子がおかしかったんだよ。仕事が終って帰ろうとしたら、奥さんに呼ばれてね。
二階から降りてきたんだけど、それがなんと、彼女、スカートをはいてなくて、ワイシャツだけなんだよ。男物のワイシャツ一枚で、たぶんその下は裸だったんじゃないかなあ。
それでね、階段の下に、ほら、物置あるだろ、あそこの電球を替えてくれないかって言うんだよ。
『ああ、いいですよ』って物置に入ったら、あの狭いところに奥さんも入ってきて。ほら、あんなとこ二人入ったら、身動きできやしない。
で、にっこり笑って『こんなにお近づきになれて、うれしいわ』って。俺、まいっちゃったよ。『とっても淋しいの』とか言い出すから、ヤバイと思って、丁寧にお断りして帰ってきたけど……。
オレ、この仕事40年やってるけど、あんなこと初めてだよ。いやあ、驚いたねえ」
といってゴクリとミルクティを飲んだとたん、彼の青い瞳に、突然、狼狽の色が走った。わたしとその奥さんとか知り合いだということを、思い出したらしい。
わっ、しまった、しゃべりすぎた、という困惑顔のまま、
「このことは誰にもいわないでくださいよ」
と念を押して、彼はそそくさと仕事に戻った。
わたしは彼のあわてぶりがおかしくてたまらなかったけど、それをグッとこらえて、
「もちろん、誰にもいわないと約束します」
と真面目くさって応えた。
さーあ、こんな話を聞いて、黙っちゃいられない。
もちろん、あちこちでふれ回ることじゃないけど、父ちゃんにだけは教えてやんなきゃ。もう、口がうずうず。
それにしても、なーんか、それって、安物のソープオペラに出てくるシーン、そのままじゃん。んー、ドラマとちょっと違うのは、誘惑した奥さんのルース(仮名)が、胸は完全に垂れ下がっている、更年期障害まっ只中のおばはんってことかな。
(ビキニ姿の写真を見たことがあるから、彼女の胸が垂れ下がっていることは、すでに確認済みなのだ)
へ〜え、あのルースがねえ……。彼女は、自分ちに招待した客(わたしと夫)の前でンガーッと眠りこけてしまったりして、ちょっといかがなものか? と思うようなところがあるが、概して好感の持てる女性である。
そういえば、あの頃の彼女は、胸の大きく開いたトップにミニスカートという、無理な若造りをしてたっけ。満たされないものを抱えていたんだね。
当時、彼女には中学生と高校生ぐらいの二人の娘がいて、その娘らに手を焼いていて、一人でキイキイ言っていた。しかも、夫は娘の問題には関知せず、仕事と趣味に逃げるだけ。欲求不満も溜まろうというもんだ。
あれからもう、七、八年になる。今は娘たちも就職して落ち着き、彼女は図書館員として働いていると聞いた。
会うことはほとんどないけれど、今でもルースと聞くと、自分では見たこともない、彼女のワイシャツ姿を思い浮かべてしまうのだ。
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