【子供たちの『マイ・フェア・レディ』 】
わが町マーゲイトに、素晴らしい劇場がある。
その名も「ロイヤル劇場」。ロイヤルというだけあって、そりゃもう、この小さな田舎町に似合わず、どどぉーんと立派な建物で――
てなことはなくて、じつはほんのちっこい、アリンコのような劇場なのだ。ところが、このアリンコ劇場、ええーい、ひかえい、ひかえい、恐れ多くも英国最古の劇場であらせられるぞ。
えーっと、正確にはですね、現存する劇場で、改築されていないもののうちで最古。そして、実際に使われている劇場としては、英国で二番目に古い。
オープンしたのが1787年。ってことは、あの映画『英国万歳!』のジョージ三世の時代である。その華麗な雰囲気を今に残して、その内部は、まるでパリのオペラ座のごとき豪華絢爛……と言いきるには、うーん、かなり無理があるか。
いやいや、それでも、規模こそ小さいが、本格的なオペラ座の様式で、一階の客席を馬蹄形に囲むようにして、二階、三階と二層のバルコニーが垂直に立ち上がっている。
舞台には真紅の緞帳、そして客席も真紅のシート。さらに、可愛らしいボックス席までちゃーんと備えているのだ。もちろんバーもあり、幕間には、ワイングラスを傾けることもできる。
電灯だって、無粋な蛍光灯なんぞではありません。花の形をしたすりガラスの、優雅なものだ。そこにぽっちりと灯る明かりに、バルコニーの美しい装飾がほんのりと浮かび上がる。
一階席が230席で、二階、三階席を入れても、全部で360席しかない。現代の劇場とくらべると、まさしくアリンコだが、十八世紀の人口や町の規模を想像すると、当時の地方の町の劇場はこんなもので、これが特別に小さいというわけでは、ないのかもしれない。
可愛らしくてアットホームな、しかもオペラ座のミニチュア版といった美しいこの劇場がわたしは大好きで、興味を引く芝居やコンサートのたびにここに出かけて行く。
さて、夏休みが迫ったある日、この劇場にご招待を受けた。となりの町に住むユリさんの娘のエミリーが、ミュージカルに出演し、このロイヤル劇場の舞台に立つというのだ。
といっても、このミュージカルは小学校の生徒たちが演じるもので、ま、いわば学芸会。それを商業演劇をやる本格的劇場でやろうってんだから、なかなか粋な話じゃありませんか。
日本と違ってイギリスでは、七月が学年末である。夏休み前のこの時期、もう学校ではあまり勉強はしない。やれ運動会だ、遠足だ、学芸会だ、ディスコ大会(!)だと行事が続き、学芸会の練習に追われる。
エミリーは、セント・ニクラスという村にある小学校の五年生だ。一学年にクラスはひとつしかなく、生徒数は三〇人くらい。この学校では、四、五、六年生の三学年、合計九〇名の生徒全員が出演して、毎年卒業シーズンに、ミュージカルをやるのが恒例となっている。
今年のだしものは『マイ・フェア・レディ』。本番のひと月ぐらい前に、配役とか衣装が決まって、親たちはその衣装の調達に奔走する。
この段階で、父兄のあいだでもめごとも発生する。「あの子よりうちの子がうまいのに、なんでうちの子がこんな役なんだ」てなことをごちゃらごちゃらと、ま、どこの国でもよくある話だ。
エミリーは、メイドの役と、アスコット競馬場での貴婦人の二役をやることになった。メイドは黒い服に白いエプロンだから、まあ、なんとかなる。ところが問題は貴婦人だ。ユリさんが、貴婦人の衣装をどうしようかと、わたしのところに相談に来た。
貴婦人の衣装の色は、白と黒に限定だという。へえ? と思って『マイ・フェア・レディ』のビデオを見たら、なーるほど、オードリー・ヘップバーンのあの白黒の衣装は有名だが、その後ろにいる貴婦人たちのドレスも、色は白と黒に統一されていた。
ふたりで町を歩いて、チャリティショップで古着の黒いワンピースを見つけた。ノースリーブの膝丈だが、これをベースにして、ロングスカートと袖を付け足すことに決定。
白いサテンの布を買ってきて、それで長いスカートと長袖をつくり、黒のワンピースに縫いつける。そしてウエストには、黒のサテンリボンのサッシュをつけて、スカートを縫いつけた部分を隠す。さらに、襟ぐりに、白いチュールで作った花を飾って、はい、一丁出来上がり!
この衣装づくりをわたしが手伝ってあげたので、ユリさんがそのお礼に、わたしたち夫婦をロイヤル劇場へ招待してくれた、というわけ。
学芸会のチケットとはいえ、無料じゃない。日本円にして千円くらい。これで劇場の借り賃を賄うのだろう。
公演当日、夕方七時からの開演を前に劇場に入ると、おー、いたいた。
席に着いたユリさんが、わたしたちをみつけて手をふっている。となりの席では、彼女のお姑さんがニッコリ。ところが彼女のご主人がいない。
「あら、ギャリーは?」
と聞くと、
「あそこでヴァイオリンを弾くの」
指差した先は、ステージの下のオーケストラピットだった。
ひゃあ、これって生演奏?
そう、この小学生のミュージカルは生意気にも、オーケストラの伴奏なんである。もちろんフルオーケストラではないが、総勢二十名ほどの管弦楽団だ。
この管弦楽団、正規の楽団ではない。この学校の音楽の先生とその友達、父兄で楽器の弾ける人、その友達のまた友達。そういったアマチュアのミュージシャンたちを、この公演のために寄せ集めた、にわか仕立ての楽団なのだ。
しかも、それぞれが仕事を持つ忙しい人たちに声をかけて、サッと集まって、合同練習をしたのは三十分だけだそうな。それで二時間のミュージカルの演奏を難なくこなすのだから、恐れ入る。
つくづく、クラシック音楽は西洋の伝統なんだなあ、と感じるのはこんなときだ。となりのおっちゃんがヴァイオリンを弾き、お向かいのばあちゃんが、ピアノを弾いて歌う。
そんなことが、まるで「ちょいとガーデニングをやりまっさ」というようなノリで、普遍に行われる。そういった、楽しみとしての音楽の浸透、その裾野の広さ。日本とは少々、地盤が違うようだ。
卒業ミュージカルだから、当然主役は6年生だ。ショウは、花売り娘のイライザがコヴェントガーデンで花を売る、おなじみの場面から始まった。
「今年の主役はいまいちだなあ。去年は歌のうまい子がいたんだけど」
と、ユリさんがわたしの耳元でささやいたように、このイライザ、歌も芝居もいまひとつ。
特に歌のうまい子はいなかったが、ひとり、ずば抜けた役者がいた。それはヒギンズ教授の母親をやった女の子で、他の子とくらべるとずいぶんとおチビさんだが、彼女のざあます言葉の奥様ぶりは、大受けに受けた。
笑いころげていると、横からユリさんがわたしの腕を小突いた。
「あの子、うまいでしょう? 6年生のポピーっていう子よ」
こりゃ、ポピー。あんた、小学生てのは借りの姿で、家に帰ったら、股上の長いおばさんパンツはいて、鼻メガネかけて編み物でもしてんだろう。きっとそうだよ、あの子。
芝居が終わった。
そして、カーテンコールだ。
ここから日本の学芸会とはまったく違う光景が出現した。子供たちが端役から順番に舞台に現れると、場内は騒然と沸き立った。ピーッという鋭い口笛、そしてワァーッという大歓声。
最後に主役が出て来ると、ちゃんと本物の役者がやるように、手をひらひらと挙げて挨拶をした。これも、一生懸命練習したんだろうなあ。
場内の歓声も口笛もますます高まって、まるでアイドル歌手のコンサートだよ、こりゃ。そして最後に、出ましたッ、スタンディング・オヴェーション!アメリカではどうか知らないが、イギリスの劇場でスタンディング・オヴェーションを見ることは、めったにない。
ところがどうです、この熱狂、この喝采。
すぐ前の席で、スキンヘッドにイヤリング、刺青というイギリス不良中年三点セットのおっさんが、立ち上がって、盛大な拍手を送っている。うん、うん、この三点セットだって、子を持つ親なんだよねえ。
なんせ観客は父兄とそのファミリー、親戚、友達だもんな。いうならば「まるっきり親バカ・スタンディング・オヴェーション」だ。
でもね、演じた子供たちの気持を想ってごらんなさいな。こんな熱狂的喝采を舞台で経験するなんて、たまらんぜ、こりゃ。 この感動から、本格的に役者の道をめざす子が出てきても不思議はない。
イギリス人は誰もが密かに、役者になりたいという願望を持っているそうだ。だから、たいていの町に、アマチュアの劇団やオペラのサークルがある。
そういった地盤を踏まえてか、往年のスターを振り返っても、今のハリウッドのスターたちを見ても、あれ? この人もイギリス出身? と驚くほどイギリス人の役者は多い。
カーテンコールが終わると、校長先生の挨拶があった。劇場の裏方さんたち、そして管弦楽団への謝辞と拍手。最後に、衣装をそろえたり協力をしてくれた父兄に対して、先生と子供たちからのお礼の拍手で、幕が降りた。
劇場から出ると、九時を過ぎたというのに、まだまだ明るい宵だった。
素晴らしい体験をして、小学校を卒業していく子供たち。この舞台はきっと、彼らの心に大きな足跡を残すことだろう。
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