【イギリス人と結婚したことを後悔するとき】
あー、つまんない。
まったく、イギリス人の夫とフランスのレストランに行くくらい、つまらないことはない。だって、食に興味がないんだもの。
あたしゃね、いつもはイギリスの不味いもので我慢してるんだから、フランスに行ったときぐらいは、おいしいものを食べたいんですっ。
いや、何もパリの高級レストランで食べさせろってんじゃないの。そんな、ミシュランの三つ星だの、ゴー・ミョーの高得点レストランだのの話と、ちゃいますねん。
ただ、せめて「Logis de France (ロジ・ド・フランス)」の看板の出ているような小粋なレストランで、気持のいいサービスを受けて、ゆったりと、美しくおいしい食事をするという愉しみを、たまには享受し
たいのだよ。
先日、フランスに行って、ブルゴーニュはヴェズレーの近くの民宿に泊まったとき、宿の主人が、ロジ・ド・フランスのマークのついているレストランを、紹介してくれた。
平日なので予約なしでも大丈夫だろうと、いきなり行ってみると、予約で満席らしい。ウエイターが困惑顔で「少々お待ちください」といって、奥に消えた。
しばらく待たされたあと、こんどは、銀髪の、品のある爺さまウエイターが出て来た。そして、入口のそばだが、「ここでもよろしゅうございましょうか?」といって、ふたり分の席を作ってくれた。
うーん、こういう店はいいねえ。わたしは、年季の入った爺さまウエイターのいる店は、なんとなく信用を置いている。
酸いも甘いも噛みわけた、ワインと料理に精通した爺さまウエイターは、客が注文するとき相談にのってくれ、適切なアドバイスをくれるからだ。
見ていると、やっぱりそうだ。客との会話と知識を要する、ワインと料理の注文を聞くのは、爺さまウエイターの仕事だった。そして、十二種類のチーズをのせたワゴンを押してテーブルに行き、説明をしながら切り分けるのも、彼の担当だった。
フランスのレストランでは、メニューを見るのが本当に楽しみだ。わたしはフランス語はさっぱりダメだし、グルメではないが、食いしん坊なので、むふふふ、フランス語のメニューはそこそこ読めるのである。
イギリスのレストランでは、メニューを読めばどんな料理が出てくるか、たいてい想像がつく。そしてほとんど、思ったとおりのものが出てくる。
ところが、フランスではそうじゃない。わくわくと想像をかきたてられる。たとえば、このときわたしの目を惹いた料理に、「ほにゃららの赤ワインソース」があった。
「ほにゃらら」というのは、もちろん、そのフランス語を忘れてしまったので、仮の名前である。(いやあ、ここんとこ、ホントに物覚えが悪くなって。え? 昔から? ほっといてください。いや、それにしてもこの歳になると、英語でさえよく忘れるのに、フランス語なんか、覚えられるわけがないっ)
そのときフランスに来て数日目、前菜と主菜とチーズ、デザートがセットになったメニュ(定食)が、だんだん胃に重くなってきた。そして、日本人のわたしは、すでに肉は食傷気味で、やたら魚が食べたかった。
だから、アラカルトで、ポワソン(魚)のところを見ていたので、その「ほにゃらら」が魚だということは、わかる。
へーえ、魚料理に赤ワインソースねえ。どんなソースだろう。赤ワインなら、以前に食べたブフ・ブルギニョン(ブルゴーニュ風牛肉煮込み)のようなもの? それともウフ・アン・ムーレット(ブルゴーニュ風ポ
ーチドエッグ)みたいな……?
しかし、あの卵の赤ワインソースは、不味かったなあ。あんなのだったら困るなあ。うーん、それにしても、魚と赤ワインソースという組み合わせは初めてだ。どんなんだろう。
てなことを考えながら、ふと肉料理の欄に目を移すと、一番目に「鴨のコンフィ、梨のタルトタタン添え」があった。おっ、コンフィか。あれを食べたのは何年前だろう。うーん、久しぶりにコンフィもいいねえ。
コンフィはフランスの中部や南部ではよくメニューに載っているもので、家禽の肉を脂に漬けた保存食である。鴨のコンフィなら、鴨の脂に漬けたもの。
これを聞いたとき、うへー、肉の脂漬けなんて、やたら脂っぽいだろうなと辟易したが、食べてみると、案外とそんなことはないのだ。
で、コンフィに、なに? 「梨のタルトタタン」がつけあわせ?
これが気になる。ふつうタルトタタンといえば、デザートで、甘く煮込んだりんごのパイのこと。
その梨ヴァージョンが主菜で使われているということは、そんなに甘くはないんじゃないか。うわあ、どんなパイなんだろう? うーん、魚か、鴨のコンフィか、うーん、うーん、どっちにしよう。心は千路に乱れる。
あれも食べたいが、これも食べたいと迷った場合、連れがフランス語のできない日本人であれば、うまく丸め込んで、魚とコンフィを注文してふたりで分け分けして食べる、という手がある。
いや、丸め込まなくったって、ふたりで面白そうなものを別々に注文して分け合うって、ふつうのことでしょう?
ところがだッ。うちのイギリス人にゃそれが通用せんのだッ、ったく。
いつでも、オットットは、自分が味を知っている料理だけを注文する。
決して味の冒険をしない。フランスへ行ってまでビーフステーキを注文する、退屈な男である。そして、わたしがいくらすすめても、絶対に珍しいものには手を出さない。自分が知っている料理だけを、安心して食べる。
だから、わたしがメニューを見てあれこれ迷うのに対して、彼は三十秒もあれば注文が決まる。だいたいが、イギリス人は、はっきり言わせていただくが、味オンチである。だから、イギリスの料理がまずいのはあたりまえ。
もちろん、イギリス人でも味のわかる人はいるけれど、それはごく少数派。そして、イギリスにもおいしいレストランはあるけれど、それも少数派。
うちのオットットのような一般的イギリス人は、驚くほど味覚が発達していない。たとえば、オレンジジュースでも、普通のオレンジジュースとパッションフルーツ入りオレンジジュースとなると、もう区別がつか
ない。
だから、オットットにわざわざパッションフルーツ入りのオレンジジュースを買うなんざ、まったくの無駄である。奴には、一番安いお徳用ジュースを与えておけば、良いのである。
そういう話を、近くに住む日本人の奥さんにすると、彼女はイギリス人の夫について、こういった。
「うちのダンナがわかるのは、テクスチャーだけだね。硬いとか、柔らかいとかさ、舌ざわりだけ。味なんか、てんでわかっちゃいないんだから」
やっぱり。
これじゃ、頑張っておいしい料理をつくろうという気は、まず萎えるわな。はあ〜。(タメイキ)
不思議なのは、日本とおなじ島国でありながら、イギリスでは、食べる魚の種類がじつに少ないことだ。イギリス人がよく食べる魚といえば、鮭とタラとヒラメぐらいのもんだ。イカやタコは食べないし。
生まれてこのかた、まだ一度も牡蠣を食べたことがないというイギリス人は意外と多い。そして彼らは、食べてみようとも思わないという。理由は、見た目が気持悪いから。
つまり、イギリス人は生まれながらにして、食に対する興味が欠落している。だから、食に金をかけることを嫌う。どうせ腹に入ってしまえば、ウンコになって出るんだもの。そんなものに金をかけるのは馬鹿らしい。というセオリーだ。
このようなコンセプトの違いで、フランスで、ちょっと値の張る有名な料理屋へ行くの行かないので、この十数年の結婚生活のうちで最大の夫婦喧嘩をしたことがある。
わたしが、自分で稼いだお金で払うからといっても、奴はウンといわなかった。このときは本当に、心底後悔しましたね、イギリス人と結婚したことを。
そして、さらに打撃が加わった。それからしばらくたって、その「伝説のシェフ」が自殺してしまったのだ。今となってはもう、永久に彼の料理が食べられなくなってしまった。
あれから何年もたって薄らいだとはいえ、今でも何かの拍子にふっと、苦い思いが込み上げてくることがある。そんなとき、この味オンチのイギリス人の頭を、張り倒してやりたくなる。後ろから、パコーンと。
おっと、話が横道に逸れちゃった。
あのブルゴーニュのレストランで、魚とコンフィ、どっちを注文しようか迷ったので、爺さまウエイターに「ほにゃららの赤ワインソース」の「ほにゃらら」は何かと聞くと、
「白身の川魚でして、おいしゅうございますよ」
と、目を細めて、うーん、うまいっ! という表情をしてみせたので、たちまちそっちに決定。まあ、商売上、何でもそういう表情をしてみせるんだろうけどネ。
で、結局、お味はというと、魚に赤ワインソースはうーん、わたしの個人的な好みとしては、NGでありました。だからァ、魚とコンフィと半分づつにしたかったのよォ。なのに、うちのイギリス人ときたら……、ブツクサ、ブツクサ……。
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