秘書

イギリス生活よもやま話【エッセイ】

プロフィール

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Teeka(フリート妙子)。イギリス人と結婚して、イギリス南東部に住んで、15年が過ぎました(はっや〜い!)。
夫とのなれそめは、よくある話なんですが、彼がわたしの英語の先生だったことです。
静かな海辺の田舎町で、教師を退職した父ちゃん(夫)と、ふたりで暮らしています。

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イギリス生活よもやま話【ブログ】

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秘書

今は退職したが、わたしの夫は以前、マーゲイトにある英語学校に勤務していた。そのころ、わたしは夫にお昼のサンドイッチを届けたり、用があったりで、学校のオフィスに顔を出すことが、時々あった。

クリスマスが近づいた、ある日のこと。
その日は授業もなく、ファイリングの整理をするので、それを手伝いがてら遊びに来ないかと、夫が誘った。

わたしは、家でグータラしていたかったのだが、イギリス人の職場を観察するのも面白いかもしれないと、好奇心がむくむくと頭をもたげ、夫の腰巾着として出勤した。

カレッジのオフィスには、ふたりのパートタイマーの秘書がいる。ジェシカは午前中の勤務で、ドロシーは午後。所用で遅刻したジェシカが出勤してくると、夫が声をかけた。

「おや、ヘアスタイルを変えたの? よく似合うよ、それ」
ははあ、欧米の上司 は、秘書にもいちいちお世辞をいって、なかなか大変だなあと見ていると、いつもムスッと不機嫌そうな彼女の顔が、いっそう不機嫌になった。

「これは、雨に濡れて、くしゃくしゃになったんですっ。今朝せっかくセットしたのに、もうっ」

まーたやった。わたしは笑いを噛み殺した。ろくに見ていないくせに、とにかく誉めればいいと思っているから、夫のお世辞は、いつも空振りするのだ。

ムスッとしたまま、しばらくコンピューターのキーを叩いたあと、ジェシカは、煙草を持って部屋を出て行った。嫌煙権を主張する夫のために、秘書たちは、オフィスでの煙草を禁じられている。

煙草が吸いたくなると、彼女らは、ホームステイを担当しているポーリーンの小部屋へ、出かけて行く。そこで煙草を吸い、井戸端会議をして戻ってくる。

イギリスでは十一時が、イレブンズィズといって、お茶の時間となる。オフィスにはコーヒーメーカーがあるが、コーヒーをいれるのが秘書の仕事とは、決まっていない。

そのときに仕事の区切りがついた者が、いれる。別室にいる校長がやってきて、みんなのコーヒーを沸かすこともある。

わたしが驚いたのは、彼女らがコーヒーカップを洗わないことだ。ジェシカの机にも、ドロシーの机にも、底にわずかに茶色の液体の残る前日のコーヒーカップが、置いてある。校長室では、校長のカップはもちろんのこと、客に出したカップまでそのままだ。

そして、次の日に、自分がコーヒーを飲むときになってはじめて、自分のカップだけを、ちょこちょこっと洗う。校長もそうする。ただひとり、きれい好きの夫だけが、飲んだあとすぐに自分のカップを洗っている。客のカップは、誰が洗うんだろう……。

コーヒーのあと、夫が何やら探し始めた。あちこちひっくり返している。
「ジェシカ、きのうのアコモデーションの資料、きみが片づけてくれたんだっけ? 悪いけど、あれ、もう一度見せてくれないかなあ」

「……ああ、あれね。えーと、たしかそこのドロシーの机の横の棚。下の段よ。……ああ、違う、違う、そこじゃなくてその右の、ほら、その下だったら。そう、そこそこ。あるでしょ?」

彼女はツバを飛ばして指図はすれども、決して椅子から立ちあがろうとはしなかった。


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お昼の休憩は、一時から二時まで。
秘書や校長は、弁当のサンドイッチをパクつき、夫とわたしは、カレッジの近くのパブでランチをとった。

ジャケット・ポテトをつつきながら、わたしはさきほどから聞きたくて、うずうずしていた話をきりだした。

じつは、秘書たちの汚れたカップの他にも、日本のオフィスではお目にかかれないものを、発見していたのだ。それはジェシカのコンピューターの横の壁に貼ってある、男のピンナップ写真(!)である。

その場所は、入口からは死角になって見えないし、彼女の机のそばまで来ても、コンピューターの陰になって見えない。巧妙に場所を考えてはあるが、A4サイズの男の裸の上半身である。歌手かサッカー選手か何か、その類だろう。

「ああ、あれ。まったく、もう……」
と不快な表情を浮かべて舌打ちし、夫はいきさつを語った。

先週のある日、彼女は雑誌から切り抜いてきたそれを、一番よく見える、一番いい場所に貼ろうとした。それを見た夫が、当然のことながら注意した。すると彼女は、ケロリとしてこういった。
「Why not (どうしていけないの)?」

あのなー、どうしてもヘッタクレもないだろうが。もうホントに、この辺が西洋女の、理解に苦しむところだ。そんなものを、生徒も客も出入りするオフィスに貼って、どないすンねん。

それから二、三日は、夫が剥がしてはジェシカがまた貼るという、漫画のような光景を繰り返したが、とうとう校長の命令で、剥がすことになった。

それでもあきらめきれぬは女の執念。彼女はしぶしぶ、死角となる今の場所へ、貼りなおした。校長も夫も苦々しく思いながらも、まあほとんど目立たぬ場所なので、見て見ぬふりをしているのだそうな。

え? ジェシカの歳? たしか四十前で、十歳の息子がいるはずだ。西洋の女たちは男のこととなると、ティーンエージャーのごとき信じられない無邪気さを発揮する。

もちろん、そりゃ、日本人だって、ヨンさまに夢中のおばちゃんたちもいるけれど、だからといって、パート先の机に大きなピンナップ写真を貼ることは、しないんじゃないの?


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ハッロウ!
弾んだ声がして、ドロシーが出勤してきた。無愛想なジェシカと違って、彼女はわたしをハグして、頬にキスをする。シトラス系の香水が匂う。

体を離してふと見ると――、ぎょっ、深くあいた衿もとから、胸の谷間がムッチリ。十二月、もういくつ寝るとクリスマスというときに、寒くないのかねえ。

彼女はほっそりと小柄なので、胸だけがやたらデカイとも思えない。しかし、それをワイヤー入りのブラで持ち上げ、両の乳房を中央に寄せて深ぁーい谷間をつくり、これでよしと、鏡の前で見えぐあいを確認して、出勤するのであろう。

日本のオフィスで、こんな胸を見ることはまずないので、同性のわたしでさえそれは眩しくて、気になってしょうがない。

彼女がトイレに立った隙に、わたしは夫を小突いて言った。
「ね、ね、オッパイを見せてくれる秘書と働くご感想は?」
「うひひひ、いい眺め。悪くないねえ」
と、彼はニマニマ笑って、鼻の下を伸ばすことしきり。

トイレから帰ってくると、ドロシーはしばらく電話の応対に追われていた。イギリスの英語学校は外国人を相手の商売なので、かかってくる電話も国際的である。

ところが、ヨーロッパではたいてい相手が英語を話してくれるので、秘書は必ずしもバイリンガルである必要はない。たまにフランス語やドイツ語でかかってくると、

「んもう、何いってんだかわかりゃしない。ちゃんと英語でしゃべってよね」
と、さっさと夫の方へ電話を切り替える。これは、英語が国際語であると自負する英語国民の驕慢でもある。

電話の応対が一段落すると、ドロシーはコンピューターに向かって、文書を打ち始めた。しばらくすると校長がやってきて、彼女の打った文書のミスを指摘して、訂正を求めた。

校長が出ていくと、彼女は「Shshsh ....ugar !(シューーウガァ)!」
といって、わたしたちを笑わせた。

これはホントは「Shit !(くそっ!)」といいたいところだけど、それはあまりにも下品な言葉なので、途中からシュガー(砂糖)というさし障りのない言葉に言い換えるという、慣用句である。

ドロシーはミスを訂正して校長に渡すと、また先ほどの文書に戻った。そのうちわたしは、妙なことに気がついた。キーを打つ彼女の手が、誰かがオフィスに入ってくるたびにおかしな動きをするのだ。

それとなく観察すると、人が入ってくるたびに、サッとマウスをつかんで画面を変える。そしてマウスで遊んでいる。人が出て行くと、サッとまたもとの画面にもどして、文書を打つのである。

ははあ、内職をしているな、くらいはわかるが、内容までは読み取れない。用があるふりをして彼女の背後に近づいてみるが、敵もさるもの、なかなかスキを見せない。


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四時半になった。
ドロシーが、コンピューターを終了して立ち上がったので、わたしはてっきり掃除をするものと思った。

明日から、正月をはさんでの二週間のクリスマス休暇が始まる。これが日本なら、きょうは御用納めで、大掃除をして、新しい年を迎える休みに入る。

ところが彼女は、「郵便物を出しに行くので、早退しまーす」といって、帰り支度を始めたではないか。そして「じゃーね、良いクリスマスを。バーイ」とコートをひるがえして帰っていった。

――唖然。
なんてこった。

ジェシカの机も、ドロシーの机も、散らかったままで、コーヒーカップがそのまま残っている。この散乱したデスクと、汚れたコーヒーカップで来年、初仕事をしようというのだ。

なんという無神経な女たち! うん、そりゃ、わたしだって結構だらしないけど、ここまでひどくはないぞっ。

「まったくもう。なんて女だい」
「掃除のことでしょ?」(そうだ、そうだ、なんて女だ)
「え? 掃除って何のこと?」(へんなことをいう奴だなあ)

「あしたから、ほら、休みになるから……」(御用納めに掃除をするくらい当然だろうが、へんな奴め)
「ああ、いや、掃除はいいんだよ。晩に掃除のおばさんがしてくれるから」
「でも、コーヒーカップとか……」(掃除のおばさんは机の上までは片付けまいに)
「コーヒーカップなんかいつものことさ。それよりも、ね、気がついたかい、ドロシーのおかしな様子に」
「そう、変だったよね。何してたんだろ」

「まったくもう、勤務中にラブレターなんか書いて。しかもやたら激しいやつ」
「あーっ、そっかあ。あれはラブレターだったのかあ。ははあ、なるほどね。でも、なんであれがラブレターだってわかったの?」
「ふふん、ぼくを侮(あなど)っちゃあいけないよ。ぼくの眼は鷹の眼なんだからね」

「ひえーっ、三メートル先の画面の字が読めるってえ?」
「ふふん。ぼくには何だってお見通しなんだからね。おまえさんも隠れてそういうことしても、すぐにバレるんだからな。アンダスタン?」
(こっちに振るな、こっちに)

「亭主も子供もいるというのにさ」
「不倫だ不倫だ。で、相手は誰?」
「ここの生徒だよ」
「あちゃー」

この学校には、ヨーロッパ各国から、あらゆる年齢層の男女が、英語を習いにやってくる。中には医者や弁護士もいて、フランス人のドクターとの恋も夢ではない。

かつてわたしは、ドロシーがこんなつぶやきを洩らすのを聴いていた。
「主人とは同級生だったの。学校卒業してすぐに結婚して、すぐに子供ができちゃって。……十二年になるわ。でも彼とはもう二十年もいっしょにいるような気がする……」

ショートカットで明るい表情のドロシーは、実際の年齢より、断然若く見える。彼女の心情としては、

(そりゃまあ、そんなに亭主に不満があるわけじゃないけどさ、あたしだってまだ若いしキレイだわ。ほら、オッパイだってこんなに魅力的だし。

それなのに子供のときから知っている男だけで、他の男を知らずにこのまま人生終っちゃうなんて……。ああ、情熱的な恋がしたいっ)
てなところでしょうな。

アバンチュールを求める退屈しきった人妻が、この国にはゴマンといる。わたしのまわりを見回すと、あそこにもここにも、妻の駆け落ちで崩壊した家庭がある(夫の駆け落ちも少なくないが)。

退屈した人妻は、もちろん日本にもゴマンといるし、不倫も珍しくはないだろう。しかし、妻が夫と子供を捨てて新しい男に走るケースが、あそこにもここにもという頻度ではない。

どうやら、走りだしたら、西洋の女の方が日本の女よりも、ブレーキがきかない傾向にあるのは確かなようだ。

その後、亭主の目を盗んでつまみ食いをするドロシーの噂を、何度か耳にした。おいおい、大丈夫かねえ。彼女のダンナ、警察官なんだよ。知―らんぞ、知―らんぞ。


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