海外不適応

イギリス生活よもやま話【エッセイ】

プロフィール

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Teeka(フリート妙子)。イギリス人と結婚して、イギリス南東部に住んで、15年が過ぎました(はっや〜い!)。
夫とのなれそめは、よくある話なんですが、彼がわたしの英語の先生だったことです。
静かな海辺の田舎町で、教師を退職した父ちゃん(夫)と、ふたりで暮らしています。

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海外不適応

こんな話を聞いたことがある。
ある日本人商社員が、妻を伴ってニューヨークに赴任した。外国での新しい生活が始まると、夫は仕事と英語のストレスで、毎日疲れきって帰宅する。自分のことで精一杯で、妻のことまでかまっていられない。

妻は言葉がわからず、不安と孤独の日々を送っていた。
そんな状況が続いたある日、夫が帰宅すると、部屋の中はびっしりと、小さく裂いた新聞紙で埋まっていた。

部屋の中央に坐った妻は、まだ新聞紙を裂いていた。
朝からずっと――、そしてまだ、その手を止めようとはしなかった。

うろ覚えなので詳細は違うかもしれないが、ざっとこういう話だった。これを聞いたとき、ぞくっと寒気がした。その商社員の妻の精神が崩壊していった過程が、わたしには手に取るように理解できるからだ。

なぜ、こんなことになるのだろう。
外国にやって来て、そこで暮らす――。
最初は珍しいことばかりで、好奇心もキラキラ。無我夢中で多忙な日々が過ぎてゆく。

しかし、しばらくすると、現実が見えてくる。まず打ちのめされるのが、言葉である。相手が何をいっているのか、聞き取れない。そんなときにはもちろん、"Sorry?"とか"Pardon?"とかいって聞き返すが、もう一度いわれてもサッパリわからない。

ここで、頭の中は真っ白になる。これ以上"Sorry?"を繰り返すわけには、いかないからだ。途方に暮れていると、親切な人なら、幼児に対するようにゆっくりと、やさしい言いまわしで、もう一度いってくれる。

しかし、こんな人は稀で、「こんなこともわからないのか。まったく、しょうがないなあ」という表情を浮かべる人のほうが、多い。

いや、そんなことはない、イギリス人はとても親切で優しかった、というご意見もあるだろう。しかしそれは、あなたの立場がお客≠セったからではないだろうか。

観光客はもちろんのこと、留学生も学校と社会にとっては、お客である。ところが、そうでないわたしたち在留邦人が日常で接するのは、イギリス人の本音の部分である。

さらに、聞き取れないだけでなく、自分のいいたいことがその通りに英語でいえない。自分が言語障害に罹ったような苛立ちと悲しみがある。そして、いえたとしても、子供なみのボキャブラリーで、自分が低能に思える。

満足にしゃべれないという劣等感、屈辱。小学生なみの英語しかしゃべれなければ、現地人からも、そのように扱われる。大のオトナが小学生のような扱いを受けて、傷つく。そしてお粗末な英語ゆえに、それに対してきちんとした抗議も、反論もできないのだ。

これは、精神的にかなりこたえる。おまえは無能であるという、烙印を押されたような気がする。おそらく、日本で優等生であった人ほどダメージは大きいだろう。

住んでみてはじめて、英語にもさまざまなアクセントや、方言があるということに気がつく。そして、そういう英語を理解するのに、また四苦八苦する。

ところが、不幸はそれだけではない。わたしたち日本人は皆、いくら自分はきちんと英語を発音していると思っていても、悲しいかな、やはり日本語訛りがある。

ということは、相手のイギリス人もまた、聞きづらいわたしたちの英語を聞かされるわけだ。

すると、感情がストレートに表に出る人は「やれやれ、このヘタクソな英語を聞かされるのか。何をいってるんだか、よくわからないんだよな」というしかめ面をする。わざわざ、耳をこっちに向ける人もいる。

これがまた、グサッとくる。わたしの英語はそんなにもお粗末なのかと、ありもしない自信が、ガラガラと音をたてて崩壊する。そして、きちんと相手に解るようにしゃべらないといけないと緊張するから、よけいに言葉が出なくなったり、間違ったりする。

不自由なのは、言葉だけではない。生活習慣、衛生観念、気候の違い。人種的なコンセプトの違いもあって、なかなか自分の思うことが、思うように運ばない。そこから不満と怒りが噴出する。

このような状態にあって、母国語で悩みをうちあける人がいない。愚痴をきいてもらうだけでも、ストレスは軽減するのだが、それもできずに蓄積する。

その生理的、心理的ストレスが、心因性精神障害を引き起こす。これが、「海外不適応症」と呼ばれる精神病である。

もちろん、海外で暮らす日本人の誰もが、これに罹るのではない。積極的、外向的で、物事を気にしないなど、西洋人に近い性格の人は、うまく適応するだろう。

一、二年を海外で過ごして、日本よりは、海外での暮らしのほうが自分に合うという人もいる。だが、そのような人は、やはり少数派だろう。


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精神医学の専門家である稲村博氏の著書『日本人の海外不適応』によると、不適応症状が現れるのは、移住してきて数週間から数ヶ月たったころ。

つまり、移住当初の興奮、緊張、混乱が一応おさまって、やっと一息ついたころから始まる。

「今まで無我夢中でよくわからなかったのが、現地に関する欠点が見え始め、不便さや不自由さが次々と目についてくる。何でも内地とひき比べ、不便だとか、能率が悪い、なっていないなどとやり切れなく感ずる。

物資がない、高価だ、品質が悪い、交通が不便だ、治安が悪い、能率が低い、対人関係にいや気がさすなど、一事が万事不満でたまらない。いらいらやあせり、易怒性などが出て、むしょうに腹立たしいのである。

(中略)

この時期になると、心理面だけでなく、身体的にもよく障害をおこす。原因不明の下痢や発熱をするとか、アレルギーを起こす、食欲がなくなる、眠れない、むしょうに疲れる、ひどい風邪を引いてなかなか治らないなど、さまざまである。

一般に人は心理面と身体面は密接不可分な関係にあるが、外地ではとくに両面の傷害や矛盾が並行して表れやすく、心身ともにみじめな状態に陥ることが多い。身体を壊すからよけい心理的にも参るし、心理的に参ると身体も障害をおこしやすくなる」     
             (『日本人の海外不適応』稲村博著より引用)


ここから、自閉症、心身症などの精神障害、それがさらに昂じると自殺、殺人などへと発展するケースもある。

そして、ガンの原因が食生活とストレスにあるならば、まさに海外在住者は、そこに住んでいるというだけでその必要条件を満たしていることになる。

三千人以上のガン患者を徹底調査した医師の後藤邦汎(くにひろ)氏によると、ストレスとの関連においては、出張の多い人、海外生活の長い人にガンが多いという。

わたしの場合は、言葉のストレスに加えてさらにもうひとつ、予期せぬ追い討ちが来た。SADというウツ病(ウインター・ブルーズともいう)である。

北ヨーロッパでは十月から四月ごろまで、空は灰色の厚い雲に覆われて、暗い陰気な日が続く。この長い暗い冬という条件下で、眼から入ってくる太陽の光が不足することが原因で起こるのがSADだ。

イギリスではおよそ50万人がこれに罹っている。そのひとりであったわたしは、毎冬、自殺念慮(死にたいと考えること)を追いやるために、日本に帰国したり、太陽のある南欧に旅行したり、なんとかして暗い北ヨーロッパから逃げ出すことばかり考えていた。

(さまざまな治療を試みて、わたしは、現在はウツ病を克服している)


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北欧に住む「ふぢ」さんという日本人の駐在員夫人が、ホームページを公開している。《長い夜をこえて ―ぼやきの部屋から―》というタイトルだが、これを読むと、典型的な海外不適応の、悲痛な叫び声が聞えてくる。

その叫びが、わたしとおなじものだけに、やりきれない。現地人の友達もいないし、駐在員夫人たちのグループにも入りそびれたふぢさんの孤独が、わたしのそれとぴったり重なる。

一時期、わたしには、この地でまったく友達がいなかった。友達がいないという寂しさ、これはいくら夫との仲が良くても癒されないものだということを、はじめて知った。

外国人であるがゆえの、社会から隔絶されたような疎外感、そして孤独に耐えかねて、日本の友人たちに高い国際通話料金を払って電話をする。

ところが、藁にもすがる思いでかけた国際電話も援(たす)けにはならない。それは、理解が及ばない人の言葉に、いっそう傷つけられてしまうからだ。

たとえば――
その例を、許可を得て、ふぢさんのホームページから引用させていただく。

             ◇   ◇   ◇   ◇

「楽しんでいるみたいね」
毎日が辛くて話せることがなくて無理矢理見つけた話題で話をした時言われた言葉。

「せっかく外国にいるんだから」
日本が恋しくて泣いていた時に言われた言葉。

「いい生活してるじゃん」
独房のようなここでの生活から抜け出す唯一の方法である「旅行」の話をしたとき言われた言葉。

「現地人の友達作れば」
現地人のやり方に怒りを覚えていた時言われた言葉。相互理解がなくては友達になれない。

「○○送ったから」
気持ちは有り難いけど、送る前に一言あれば無駄にならずに済むのに。そんなモノより手紙ちょうだい。

「何か楽しみ見つければいいじゃん」
やることなすことうまく行かない時ややりたくない趣味≠むりやり始めた時に言われた言葉。

             ◇   ◇   ◇   ◇

日本に住む日本人に、外国暮らしの実情を理解してもらうことは、なんと難しいことだろうか。

電話でいきなり暗い話もできないから、なんとか明るい話題をさがす。すると、現実逃避のためにした旅行ぐらいしかない。あるいは電車でロンドンに行ったことでもいい、そういう身近な話でも、ロンドンに行ったことのない人にとっては、自慢話に聞こえてしまう。

そして、わたしも気のすすまないゴルフを、夫に誘われてむりやり始めた。どこが面白いのかわからないが、家に閉じこもっているよりはましだと思って、やった。

もちろん、ゴルフができるのは、日本にくらべて、はるかに料金が安いからだ。いくら安くても、「毎週夫婦でゴルフをやっている」というセリフは、「いい生活してるじゃん」の反感を買うだけなので、黙っていた。

つい愚痴をこぼすと、外国で暮らすことの孤独や疎外感を理解できない相手は、「ヨーロッパに住んで、あちこち旅行して、その上いったい何が不満なんだ」と、口に出してはいわないが、そう思うらしい。

しかし、会話ができればまだいい方だ。
めったに電話をしない友人にかけると、相手はぎょっとする。

わざわざイギリスから、どうしたんだろう、何ごとだろうかと身構える。それが声に出る。出る人と出さない人がいるが、ふつうは声に出る。そいうときの声は硬く尖って、耳を刺す。

めったに電話をしない人にまで、わざわざイギリスからかけてしまう、その孤独感。

電話の前で、かけようかどうしょうかと何度も逡巡したあげく、やっとの思いで相手の声を聞くと、その鋼(はがね)のような声の切っ先で、心が傷つく。たちまち、電話をしたことを後悔する。

お願いだからもっとふつうに話してちょうだい。ただ日本語で話をしたいだけなんだから。

その内なる悲痛の叫びも、わかってはもらえない。そんなに辛いのなら、なぜ外国なんか行ったんだ。きっとそう思われるだろう。

なぜ行ったのか――。
それは、知らなかったから。まさかこんな現実が待ち受けていようとは、思いもよらなかったからだ。それは外国で暮らしてみてはじめてわかることだ。

海外不適応――これはおそらく、その意識に外国に対する憧れが潜在する日本人にとって、想像の範疇を越える概念だろう。だから、どれだけ言葉をつくして語ろうとも、体験する以外に、理解するのは難しいのではないだろうか。

 
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