マルセル・プルースト

イギリス生活よもやま話【エッセイ】

プロフィール

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Teeka(フリート妙子)。イギリス人と結婚して、イギリス南東部に住んで、15年が過ぎました(はっや〜い!)。
夫とのなれそめは、よくある話なんですが、彼がわたしの英語の先生だったことです。
静かな海辺の田舎町で、教師を退職した父ちゃん(夫)と、ふたりで暮らしています。

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マルセル・プルースト

【プルーストはお好き?】

私がレオニー叔母の部屋におはようを言いに行くと、叔母は彼女がいつも飲んでいるお茶の葉またはぼだい樹の花を煎じたもののなかに、そのマドレーヌをひたしてから、それを私にすすめてくれるのであった。
(『失われた時を求めて』マルセル・プルースト 井上究一郎訳)

このプルーストの小説に出てくるレオニー叔母さんの家が、一般公開されていると聞いて、フランスのペリゴール地方を旅したとき、帰りにコンブレーに寄った。

パリの南西、大聖堂のステンドグラスで有名なシャルトルから、さらに25キロほど下がると、この田舎町がある。

正式な名称はイリエだが、あのプルーストの小説にちなんで、今では地図にもイリエ・コンブレー(Illiers-Combray)と載っている。

ここに、プルーストが少年のころに休暇を過ごした叔母の家があり、それがプルースト博物館として、公開されているのだ。

ごく小さな町のことゆえ、迷うことはない。広場の駐車場に車を停めて、ぶらぶら歩くと、数分でレオニー叔母さんの家に着く。

途中に菓子屋があったので、なんの気なしにウインドウをのぞいて、ウヒャウヒャと笑ってしまった。だってェ、《プルースト饅頭》を売ってるんだもの!

いやあ、これは、これは。
これって、岡山の竹久夢二の《夢二饅頭》みたいなノリで、なんだか日本の観光地の土産物屋を思い出して、うれしくなってしまった。

もちろん、正確には饅頭ではなくて、マドレーヌというお菓子。『失われた時を求めて』の第一部で、これをお茶に浸して食べる場面がある。

貝の形をしたカステラのような、フランスではどこにでもあるそのお菓子が、プルーストの似顔絵が描かれた化粧箱に入って、リボンなんぞをかけられて、結構なお値段でウインドウに並んでいるのだ。

そして店の入口には《レオニー叔母さんがマドレーヌを買いに来た店》という表示がある。

ヨーロッパを旅して、こういう土産物に遭遇するのはめずらしい。ゴッホ終焉の地オヴェールにも、モネの睡蓮の池があるジヴェルニーにも、シェイクスピアのストラットフォード・アポン・エイボンにも、《ゴッホ饅頭》だの《モネ煎餅》だの《シェイクスピア羊羹》なんて物はない。

これまでに、わたしがヨーロッパで出会ったのは、モーツアルト生誕の地ザルツブルクで見た《モーツアルト饅頭》(中身はチョコレート?)ぐらいのものだ。

これが、たとえばアメリカのメンフィスで《プレスリー饅頭》を売ってまっせえ、というのなら、驚きもしないが、あのマルセル・プルーストですよ。

二十世紀が終わるとき、英紙タイムズは「二十世紀で最も偉大な作家はだれか」という特集をやった。そのときに、トップの座に輝いたのが、このお方。

その作品は、「文学の高尚の極み」だの、「哲学的時間論の展開」だの、「新心理小説の記念碑的傑作」だのと形容されるだけに、《プルースト饅頭》との俗っぽいコントラストがおかしくて、ついニマニマしてしまうのだ。プルースト先生も、草葉の陰で、当惑しているにちがいない。

レオニー叔母さんの家、つまりプルースト博物館は、この菓子屋から数軒おいた隣にある。家そのものは中産階級の町屋で、内部も豪勢ではなく、むしろ地味な民家である。

しかし、“高尚の極み”のプルーストでありますゆえ、博物館も非凡である。まず、入口で、ビジターは十人くらいのグループになって待つ。

すると、目の覚めるようなチェリーピンクの、胸元のガバッと開いたロングドレスにシルクのショールをかけ、化粧もバッチリの妖艶なマダムがやってきた。

香水プンプンのこのマダムがガイドで、グループを引き連れて内部を案内する。それぞれの部屋に、『失われた時を求めて』の一場面がしつらえてあって、衣装をつけた館員(?)が、小説の一部を再

現したり、朗読したりする。が、わたしにはさっぱりわからぬフランス語。

最後の部屋には、資料が展示されている。壁にずらりと、家族や関係者の肖像写真がならぶなかで、プルースト自身の家族の写真がない。

不思議に思って、そばにいた若い館員に、プルーストは結婚しなかったのかと尋ねた(もちろん、フランス語のできる夫に聞いてもらったんだけどネ)。

アルチュール・ランボーか、はたまた若いころのアラン・ドロンを髣髴とさせるこのお兄ちゃん、わかりきったことじゃないかという倦怠の色をその美貌に浮かべて、けだるそうにいった。

「プルーストは、ギャルソン(男の子)が好きだったんです」


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イギリスに帰って、義妹にコンブレーの話をすると、彼女は電話の向こうで、突然カナリアのような声になって、
「んまあ、わたし、プルーストの大ファンなのよっ」
と囀(さえず)った。

おいおい、ホンマかいな……?
フィンランド人の彼女はピアノ教師で、夫がケンブリッジ大学で教えていることも手伝って、インテリであるという自負の鼻息は、ずいぶんと荒い。

それでも偉ぶったところは微塵もなく、とても話しやすい人なので、彼女とわたしは嫁同士、イギリスの愚痴をいいあったりする仲である。

たしかに、彼女は教養もある素敵な女性だけど、これまで文学の話なんぞ、したことがない。ホントかねえ。しかも、プルーストと聞いたとたんに黄色い声を張り上げるところが、なーんか、怪しいんだよねえ。

というのは、どうもヨーロッパでは、プルーストの小説が、インテリかどうかを決める試金石になっている――そんな節があるのだ。

わたしの住むマーゲイトのような田舎町にも、ちょっと気取ったサークルがあって、その集まりで文学の話になると、プルーストを読んだかと聞かれる。

読んだ、エンジョイした、と答えれば、相手は「よしよし」という顔になる。ところがわたしは「読んだ」とはいいがたいので、つい『スワンの恋』という映画を見た、などとよけいなことをいってしまう。

すると相手はシラけて、「あー、あんたはもういいから、シッ、シッ」という雰囲気になる。

いや、わたしだってね、あれを読もうと努力はしたんだよ。ところがカウチポテトで読み始めると、もう、ダメ。五分もしないうちに眠ってしまい、顔にバサッと本が降ってきて、眼がさめる。

何度もこれを繰り返して、ようやく第一篇第一部のマドレーヌのくだりまで読んだが、まったく、こんなに眠れる本ってあるだろうか。不眠症の方は、ぜひお試しあれ。

それにしても、これほど高い評価を受けながら、これほど読みづらい作品も珍しい。なぜだろう。

いや、文章が難しいというのではないのだ。難解度からいえば、それはもう、なんたってジョイスが世界チャンピオンだろう。だからこの点に関しては、ジョイスにくらべればプルーストはハナクソである。

わたしにとっての障壁は、あの文体なのだ。読み始めると、だんだんイライラしてくる。なにが嫌って、あのだらだらと牛のよだれのごとく、読点だけで延々と続いていく奇怪な文体。あれが不自然で不自然で、しょうがない。

本国フランスで、この小説の劇画版が出たときには、なーんだ、ほらね、フランス人だって読みづらいんじゃねーか、だから漫画にしたんじゃねーかと、ホッとした。

またイギリスでは、BBCがA・ド・ボンの『プルーストによる人生改善法』をドラマ化し、著者自身も登場して解説するという教養番組を放送した。

つまり、これって、プルーストの解説本の解説番組。ということは、なーに、ヨーロッパ人だってあの作品を、よくわかっちゃいないのだ。なっ、そうだろ?


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だから、わたしのように、第一篇第一部の途中までしか読んでいなくても、コンブレーへの訪(おとな)いで武装すれば、マーゲイトの自称インテリどもを煙に巻くのは、わけはない。

なにしろ、あんな変哲もない田舎町まで足を伸ばす物好きは、そういないから、コンブレーに行ったといえば、相手の耳がピクンと立つ。

そして、ひとしきりその見聞をしゃべり、最後に《プルースト饅頭》で俗化を嘆き、ため息のひとつもついて見せる。これで決まりである。

そうやって偽インテリぶりを発揮していたが、せっかくコンブレーまで行ったのだから、せめて第一部ぐらいは読了しておこうかと、先日、ホコリをかぶっていた本を取り出した。

やっぱり、五分もすれば、うつらうつら。バサッと顔に本が降ってきて、おお、痛ッ。あれは文庫本といえども、厚いからけっこう痛いのだ。

かくして、第一部いまだ読了の気配なし。わたしはあいかわらず、顔に降ってきたマルセル少年の追憶の下で、惰眠を貪っている。

開高健の、
「私はプルーストが退屈で退屈でしようのない作家だと思っている。膨大だけれど箱庭細工の芸術であるような気がする」
という言葉を、安堵の枕にして――。


【蛇足】

それでも、我こそはこの「文学界のエベレスト」に挑戦を挑もう! というお方は、まずエベレストの前に、マナスルに登って足慣らしをするという感じで、こちらの抄訳版がおすすめかと思います。これは読みやすくてわかりやすい日本語で翻訳されているそうですから。

鈴木道彦編訳『抄訳版失われた時を求めて』全3巻、集英社文庫

これで全体像をつかんで足慣らしをして、それから最高峰に挑んでくださいませ。


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