『オペラ座の怪人』秘話

イギリス生活よもやま話【エッセイ】

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Teeka(フリート妙子)。イギリス人と結婚して、イギリス南東部に住んで、15年が過ぎました(はっや〜い!)。
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静かな海辺の田舎町で、教師を退職した父ちゃん(夫)と、ふたりで暮らしています。

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『オペラ座の怪人』秘話

【インドの村を救った『オペラ座の怪人』】

先日、映画「ブリジット・ジョーンズの日記」を観に行ったら、予告編で『オペラ座の怪人』をやっていた。おー、あのミュージカルが映画になったのか。

なんか、スケールでかそう。やはり、舞台ではできないことでも、映画ならできるだろうし。うん、またクリスマスには、オットちゃんと映画でも観に行くとするか。

そうそう、『オペラ座の怪人』といえば、そしてクリスマスといえば、忘れられない、ひとりのイギリス人がいる。リチャード・スティルゴー。十年以上も前のクリスマスに、英紙デイリー・メイルに載った彼の写真と記事を、わたしは今でも鮮明に覚えている。

ミュージカルファンには、アンドリュー・ロイド・ウェバーとともに、このスティルゴーの名前は、おなじみだろう。

『オペラ座の怪人』や、『スターライト・エクスプレス』の作詞家であり、脚本家である彼は、頭の禿げかかった四十五歳(報道された当時)、五人の子供のお父っつあんである。

ことの起こりは、スティルゴーが一九八八年の一月に、新しいミュージカルのアイデアを探しに、インドを旅したことにはじまる。そのとき、ラジャスタン地方の、ポカランという砂漠の村に、立ち寄った。

村びとは素朴で、慈愛に満ち、威厳をもって生きていた。この村の様子を、「ベツレヘムは、かくもありなん」と彼は述懐する。

ところがこの地には、もう七年という長きにわたって、雨が降っていない。痩せこけてボロをまとった子供は、生まれてまだ一度も、雨を見ていない。

地は渇き、人は飢える。
オクスファムが派遣した給水車で、人々はなんとか命をつないでいたが、それでも、弱った者は次々と死んでいく。

オクスファムは、「飢饉救済のためのオクスフォード委員会」の略称で、イギリスのオクスフォードに本部を置く、慈善団体である。

発展途上国への救援活動の、資金を調達するために、イギリス全土でオクスファム・ショップを経営し、中古品や、発展途上国でつくられた民芸品などを、売っている。

ポカランの村人たちは、牛を飼っているが、ヒンズー教徒ゆえに牛を食べない。彼らは、自分たちが食べる前に、この聖なる動物に食を与える。それでも、水がないために、牛は死んでゆく。

文明国に住むわたしたちの想像を絶する貧しさの中で、この悲惨な旱魃の地獄の中で、それでも助けあい、威厳を保って生きている村びとたちの姿に、スティルゴーは打たれる。

そして、その場で彼は、密かに、この村びとたちを援助することを、自分に誓ったのだ。

貯水池をつくろう。
そうすれば水を確保できる。

その前の年に亡くなった彼の父は、エンジニアで、人々に水を供給することに一生を捧げた男だった。

父のライフワークを、なんらかの形で自分が継ぎたいと考えていたスティルゴーにとって、この第三世界に水を供給することこそ、父の遺志を継ぐ、まさに最艮の方法ではないか。

彼の心が、動いた。


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イギリスに帰ったスティルゴーは、ブロードウェイで『オペラ座の怪人』と、『スターライト・エクスプレス』のふたつのミュージカルの上演が決まるやいなや、基金を設立し、ミュージカルの印税が、直接そこへ無税で支払われるよう、契約した。

「人の命を救おうというときに、税金なんか払うてられるかいっ」
とスティルゴーおじさんは息巻く。もちろんその時点では、はたして、どれほどの印税収入が見込めるのか、彼自身にも見当はつかなかった。

やがてミュージカルは大ヒットを飛ぱし、一九八八年の印税収入は約五千万円に登った。オクスファムを通じて、そのうちの大部分が、インドの砂漠の村に、残りは、カンボジアと、アフリ.力南部のジンバブエに行った。

このことについて、彼は、ショウビジネスの閲係者に、厳しい鉗口令を敷き、マスコミにぱれそうになると、「プライバシーに関することだから」と、いっさいのコメントを拒否し続けた。

こうした彼の援助で、ポカランの村では、各家からひとりづつ、貯水池を掘るために招集きれた。それは、その一家に収入をもたらすと同時に、生きるためになくてはならぬ貯水池の建設に携わるという、精神の支えを甦らせた。

骨と皮だけに痩せ衰えた体に鞭打って、村びとたちは、貯水池を作る工事に、取りかかる。工事といっても、ブルドーザーやクレーン車があるわけじゃない。

男たちが鍬で掘り起こした土を、女たちが籠に入れて、頭の上に乗せて運んでいくという、気の遠くなるような作業だ。炎天下の砂漠で、渇飲に喘ぎながらも、村びとたちは、黙々と作業に励む。

熱い砂。熱い大気。
乾ききって色彩を失った土塊(つちくれ)の割れめから、熱い砂塵が舞い上がる。
雨雲の気配は、微塵もない。

やがて、白い土挨(どあい)の大地に、大きな穴が完成した。
スティルゴーは祈りつづける。
神よ。どうか、どうか、ラジャスタンの砂漠に、雨をお恵みください。

来る日も来る日も、彼はひたすら祈った。
やがて、クリスマスがやってきた。
そして――

雨だ。生命(いのち)の雨だ。
奇跡が起こった。ポカランの村に、雨が降った。

ついに、キリスト降誕の祝福とともに、雨がやってきた。
まさに七年ぷりの、蘇生の雨だ。

スティルゴーおじさん、もう嬉しくて嬉しくてしょうがない。
雨だあー、バンザーイ!ってなもんで、こーんな嬉しいこと黙ってられるかい、お-い、みんな聞いてくれよと、とうとう自分が敷いた鉗口令を破って、自らマスコミに発表しちまったのである。

一九八八年十二月二十七日、デイリーメイル紙の第一面に、かなり額の禿げ上がったスティルゴーと、トレーナーにジーンズ姿の奥さんの、ふたりのニコニコ顔が載っていた。

このおじさんの憎めないところは、そのコメントで吐露していたように、清貧に甘んじる求道家でもなければ、聖人のごとき篤志家でもなく、わたしたちとおなじただの人の子なのだ。

ときどき彼は、その工事の請求書を見ることがあった。そのたびに
「クソッ、これだけの収入をみすみす失うなんて、オレってバッカじゃなかろうか」
と思ったそうだ。

そりゃそうだ。一日につき約十五万円の印税収入が、毎日毎日、彼の目の前を素通りして、第三世界に流れていくのだ。

そして、彼の奥さんが、またエライッ。宝石や毛皮のコートを欲しがるわけでも、ホストクラブで遊ぶわけでもなく、あなたは正しいことをしているのだと、夫を励ます。

インタビューに答えた彼のセオリーは、簡潔だ。
「ポカランの人々は、命をつなぐために、その金が必要だった。でもわたしは、その金がなくても、生きていられる。それだけのことです」


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わたしが日本にいたころ、たまに、テレビでチャリティをやっていた。あれを見ていると、主催者側の使命感、気負い、自已満足がプンプンと匂ってきて、閉口することがあった。

そして、出演者自身が、善意を総括する使命に自已陶酔し、悲壮な顔をしているので、見ているこっちはシンドクなった。

あれから、十年以上が経った。神戸地震から、「ボランティア元年」が始まった。今では、日本のチャリティ番組も変わったことだろう。

イギリスのチャリティ番組は、非常にリラックスしている。日本では、まだ善意の必要性を、番組の中で説明しなくてはならなかった。だから悲壮になる。

ところがチャリティの歴史のあるイギリスでは、すでにその必要性を皆が理解しているので、その悲惨な部分は端折ってしまって、もっぱら番組では、いかにして、より多くの金を、いかにして楽しく集めるかに、賭ける。

だからどうかすると、ただのお笑いバラエティに見えてしまうことがある。年に何回かのテレビ番組だけでなく、イギリスでは、いつでもどこでも、チャリティをやっている。

その土地で祭があり、行列がねり歩くとしたら、必ず募金箱を持ち出す。ロンドンマラソンでも、そうだ。普通のランナーに混じって、ピエロなどの扮装をしたランナーが、募金箱を持って、沿道の観衆に募金を呼びかける。

いつものことだから、普通のことだから、彼らは、気軽に弱者に手をさしのべる。
ちょうど、雨が降ったら傘をさすように――。

No.86 2004/12/11

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