フランス、アルザス

イギリス生活よもやま話【エッセイ】

プロフィール

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Teeka(フリート妙子)。イギリス人と結婚して、イギリス南東部に住んで、15年が過ぎました(はっや〜い!)。
夫とのなれそめは、よくある話なんですが、彼がわたしの英語の先生だったことです。
静かな海辺の田舎町で、教師を退職した父ちゃん(夫)と、ふたりで暮らしています。

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フランス、アルザス

【アルザスの宿】

あれは三年ほどまえのこと。退職して以来、趣味やら遊びやらで、毎日機嫌よく駆けまわっている夫に、おもしろいアルバイトの話が舞い込んだ。

それは、宿泊施設専門のガイドブックを発行している出版社からの依頼で、ガイドブックに載っている、あるいはこれから載せる宿泊施設を調査、視察してまわるインスペクターの仕事である。

面接で採用が決まると、旅の好きなオットットは大喜び。子犬のように尻尾を振って、旅の準備にとりかかった。なにしろ、お給料がもらえて旅ができるという、おいしい話である。宿泊費、食事代はもちろんのこと、ガゾリン代も出る。

いくつかの宿泊施設の写真も依頼されたので、わたしがカメラマンとして同行した。なに、わたしだってカメラの腕は素人もいいところだが、「シャッター押したのに写ってない。おっかしいなあ……」などと、マジでボケをかますオット君にくらべれば、ずっとマシなんである。

くだんのガイドブックは、二年ごとに改訂版を出すので、そのたびに、ガイドブックの記載が実際と違いがないかどうか、出版社はインスペクターを派遣して調べる。

「あんたとこの民宿は、部屋数はこれこれ、宿泊料金はこれこれ、まちがいおまへんな?」と確認し、変更があれば、それを改訂版に載せる。

また、部屋数が五つあるのに四つと偽って申告していないか、などの項目にも、眼を光らせる。

なぜなら、部屋数によって、ガイドブックにのせる掲載料が変わってくるからだ。また、宿の雰囲気が説明と違っていないかなど、あれこれ細かくチェックを入れる。

「なんたって今回はビジネスの旅だからね」と、会社が新しく刷ってくれた名刺をアタッシュケースに入れ、オットットは、すっかりビジネスマン気取りである。

ところが、アタッシュケースなんてものをふだん持ったことがない彼は、一番最初に行ったシャトーのホテルで、商談をしたテーブルの下に忘れてきた。

車でシャトーの門を出てからハッと気づき、ウワーッと引き返すと、ホテルのオーナーが、アタッシュケースを持って玄関で待っていた。

しょーがねえなこのボケは、というシニカルな冷笑を浮かべて、ケースを渡すオーナー。「肝心なもの忘れちゃった。アッハッハ」と笑ってごまかすオットット。

そ、うちの亭主って、本人は渋めの英国紳士と思っているけれど、完全に大ボケキャラなんです。これはもう天性のもの。一見ボケタイプに見えない奴がやるから、よけいに笑える。

さて、わたしたちはフランスの北東部、ノルマンディからシャンパーニュ、アルザスにかけての一帯を、一日平均して三ヵ所のホテルや民宿を調査し、二週間かけてまわった。

仕事の旅は、やはり、旅というよりは仕事である。結局、この二週間で観光の時間が持てたのは、トロワでの二時間と、ロンシャンで建築家ル・コルビュシェの教会を見に行った一時間の、計三時間だけだった。


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フランスでは、民宿のことをシャンブレ・ドゥト( chambre d'hote )という。イギリスのゲストハウスやB&B(ベッド・アンド・ブレックファースト)にあたるもので、宿泊に朝食が付いている。夕食は出すところと、出さないところがある。

辺鄙な田舎でこの看板をよく見かけるのは、副業で民宿をやっている農家が多いからだ。ワインの生産国フランスでは、ブドウを栽培している農家も多い。だからシャンパーニュ地方へ行けば、シャンペン農家が、民宿をやっていたりする。

インスペクターとしてこういう宿に泊まる特典は、そこで製造したワインやシャンペンをいただいちゃうことだ。そりゃ、ガイドブックに自分の宿を良く書いてほしいのは、オーナーの共通した望みである。

だから、わたしたちが出立するときには、「んだば、オラんとこの宿さ、よろしゅうおねげえしますだ」と、お土産に一本くださる。おかげで車のトランクでは、ふだん飲んだこともないシャンペンボトルが、カチャカチャと、リッチな音を立てる。

夫がこの仕事にありついたのは、フランス語がしゃべれるからだが、田舎をまわると、やはり方言に悩まされることがある。ひどい訛りのある宿のオーナーが席をはずした隙に、わたしにむかって、訛った英語で「オラ、さーっぱりわがんね」と舌をペロリ。

おいおい、それでいいのかと心配になったが、オーナーの奥さんか誰か、たいていは家族に標準語を話す人がいるので、怪しい部分は確認できる。

旅程をこなしていくにつれて、オット君のビジネスマンぶりも板についてきて、アタッシュケースを忘れてくるなどという大ボケはやらなくなった。

そのかわり、小ボケはしょっちゅうで、「ひーっ、名刺がないっ!」
とパニックになって大騒ぎして、よく探せば、胸のポケットに入ってたりするんだけど。


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シャンパーニュから、さらに東に移動して、わたしたちはアルザスに入った。ここもまた、有名なワインの産地である。ドイツとの国境に近いだけあって、この地方の家々は、ドイツ風の木骨建築が多くなる。

ワイン街道に連なる村々は、いづれも、おとぎ噺の絵本から抜け出たような美しさだ。その日、わたしたちはコールマールという町での仕事を終えて、そこから二十キロあまり北にある、ダンバッハという美しい村の民宿に泊まった。

その民宿は大きなワイン農家で、恰幅のいい親父さんと、テキパキ働く若いお嫁さんが、宿をきりもりしていた。お嫁さんの実家がついこの近所で、レストランをやっているというので、夕食はそこに行って、アルザスの郷土料理を堪能した。

宿に帰ると、旅の疲れか、丸太のように眠った。それからどれくらい経っただろうか、突然、大きな音が深い眠りを引き裂いた。

バタンッ! バタンッ! ガンッ!
いったいなにが起こったのだろう。

眠い眼をこすると、夫はすでに起きあがっている。明かりをつけて時計を見た。二時だ。夫がバスローブを着てバルコニーに出たので、わたしも後に続いた。

二階のバルコニーから下を見ると、門から続く前庭に、ランドローバーのような四輪駆動車が、一台停まっていた。三十代くらいの男女が、車から荷をおろしている。そのまわりを、小さな子供がふたり、走りまわっている。

一家でこんな時刻にやってきて、車のドアをバタン、バタンと開け閉めする。何かを敷石の上に落として、大きな音を立てるわ、子供は転んで泣き出すわ、深夜ということを一顧だにしない傍若無人ぶり。

わたしたちがあきれ返ったのは、両親が、ひとことも子供に注意をしないことだ。静かにしろと、どやしつけてもいいのに、叱らない。それどころか、親もまた平気で、大きな音を立てる。

やれやれ、この親にしてこの子ありか。まったく、もう。この騒音で、隣の部屋に泊まっていたカップルも、バルコニーに出てきた。しかし、夜中の二時という時間をおもんばかると、大きな声で注意をすることさえも、はばかられる。

とうとう、わたしたちはなにをすることもなく、憤怒の一瞥をその親子に投げて、ベッドに戻った。しばらく物音は続いていたが、やがてそれも静まり、眠りについた。


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次の朝。
ダイニングルームで朝食をとっていると、宿の親父さんが、わたしたちの姿をみつけて飛んできた。

「ゆうべはお騒がせして、本当に申し訳ありません。遅い時刻だったので、やむを得ず泊めましたが、あんな非常識な家族、とんでもないです。他のお客さまに迷惑なので、すぐに出ていってもらいますから」

そりゃ、親父さんだって、あんな客のために、この宿の評判を落としたくはない。インスペクターである夫の前に、アルザス名産の白ワイン、リースリングのボトルが置かれた。ガイドブックのほうは、なにとぞ
よろしゅうにお願いします、という気持だろう。

「いや、大丈夫ですよ。どうぞご心配なく。この宿のせいじゃないし、いろんなお客がいますからねえ」

夫がそういうと、親父さんは苦笑し、
「今からあの連中、追い出してきます」
といって大股に食堂を出ていった。

しばらくして戻ってきた親父さんの顔には、深い困惑の色があった。
「じつは、あの両親ですが……」
「はい?」
「……聾唖(ろうあ)なんですよ」
「……」

わたしたちは返す言葉がなかった。
そうだったのか。

ゆうべバルコニーから目撃したあの光景。荷を降ろす音。思いきりドアを閉める音。走りまわる子供たち。それに対して、何の反応も示さない両親。

聾唖なら、人に迷惑をかけてもいいのか。
一瞬、そんな思いが突き上がった。

しかし……、耳が聞こえないなら、どうしてあの騒音を理解できよう。
もしも、生まれたときから沈黙の世界に住んでいるとすれば、どうやって物が音を立てることを、理解できようか。

なにがあったかは、知らない。なぜあの一家が、あんな時刻に移動してきたのかは、わからない。

聴覚障害者と知らなかったとはいえ、非常識だ、迷惑だと責めた自分を恥じた。前庭に、まだあのランドローバーが停まっているのを認めて、安堵した。親父さんは、一家を追い出さなかったらしい。

忸怩(じくじ)たるものを心に抱いて、わたしたちは、ダンバッハの宿をあとにした。

 

【エピローグ】

このエッセイに出てくるガイドブックは、イギリスのASP(Alaster Sawday Publishing) という出版社が出しているもので、うちではよく利用しています。

ヨーロッパ各国とインドなどの、気持よく泊まれる民宿やホテルが、厳選されて載っています。

ただ、ほとんどが田舎の辺鄙なところにあるので、ドライブ旅行でないと、ちょっと無理かもしれません。



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