ロブスター

イギリス生活よもやま話【エッセイ】

プロフィール

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Teeka(フリート妙子)。イギリス人と結婚して、イギリス南東部に住んで、15年が過ぎました(はっや〜い!)。
夫とのなれそめは、よくある話なんですが、彼がわたしの英語の先生だったことです。
静かな海辺の田舎町で、教師を退職した父ちゃん(夫)と、ふたりで暮らしています。

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イギリス生活よもやま話【ブログ】

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ロブスター

【食いっぷり】  
  
夫がまだリタイヤする前の話である。外国人に英語を教えるという職業柄、学校関係者や生徒など、わが家には、じつに国際色豊かな客が来た。
  
ある日のこと――
「ええーと、あのう……」
オットットが、遠慮がちに聞いてきた。

おーっと、彼がこういう態勢で話しかけて来るときは、要注意である。難問をふっかけてくるときなので、うかうかと話に乗ってはいかんのだ。
  
「明日、フランス人をひとり、お昼に招待したらどうかなと思うんだけどォ……」
「なにィ? 明日のお昼? しかもフランス人?」
「う、うん」
「うーむむむむ……」
  
イギリス人を招待するなら、わたしはここまで渋い顔はしない。粗食に耐えて、何でも機嫌よく食べてくれるイギリス人なら、不意の客でも問題はない。それに、ドイツ、イタリア、スペイン、アラブ人なら、これまでの経験でなんとかなる。
  
ところが、フランス人は初めてだ。グルメと定評のあるフランス人は、食にうるさい(少なくとも、一般的にそう信じられている)。だからフランスでは、家族や親しい友人以外の客を招くときは、わざわざ料理人を雇うそうじゃないか。
  
そんなうるさい、しかも見ず知らずのフランス人のために、急に明日のランチをつくれといわれても……。イギリス料理なんざバカにしきっているフランス人に、いったい何を出せばいいのだ? 
  
と、文句をいうと、突然、オットットに天啓がくだった。
「そうだ! 庭でロブスターだよ!」
――おおっ、その手があったか。
  
ロブスター、オマール海老ともいうが、伊勢海老の仲間の、巨大な海老である。

これが、わがマーゲイトの隣町ブロードステアズの港で上がる。港のすぐ近くの魚屋で、朝獲れた新鮮なのを、茹でて売っている。日本とくらべれば、半額ぐらいの値段だろうか。
  
フランス人にフランス料理を出すほどのブリリアントな勇気も、腕もないわたしには、こういう場合、手はふたつ。日本料理を出してエスニックで逃げるか、手間をかけずに素材で勝負するか。

しかし、和食は材料がそろわないから、パス。よーし、こうなったら、とことん手を抜かせてもらいまっせえ。そう思ったら、ストンと気が楽になった。
  
前菜は、メロン。日本では、メロンはデザートだが、ヨーロッパでは、前菜として使われるほうが多い。イギリスでディナーパーティに招かれたとき、前菜のメロンに、黄色い粉の入った小さなガラスの壺が、添えられていた。
  
これは何かと聞くと、粉ショウガだという。それをパラパラとメロンに振りかけて食べると、甘味が増すのだそうな。ほんとかなあ。ま、あたしゃ、そのままのほうが好きですけどね。
  
さてと、明日の主菜は、ロブスターにオーロラソースを添えて。つけあわせは、ミントの葉を入れて茹でた、小粒の新ジャガ。そしてサラダは、オレンジを入れてスペイン風のバレンシアサラダ。あ、庭のナス
ターシャの花も入れちゃえ。食べられるし、きれいだもんな。
  
チーズは、ブリー。クーロミエの上等じゃないけれど、ま、ここはイギリスだもの、贅沢いいなさんな。デザートはアレだ、もう超手抜きで、ハーゲンダッツのアイスクリーム、バニラとショコラね。

あ、農場で買ってきたおいしいプラムもお鉢に盛って。それからコーヒー。
と、これでよし。
  

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ムシュウがやってきた。小太りで背は低め。少し浅黒い肌と、黒っぽい眼と髪が、いかにも地中海人らしい。あと十年もしたら定年退職、という歳恰好のビジネスマンである。
    
庭のテーブルに通して、まずは食前酒。ちょうどカシスのリキュールがまだ残っていたので、フランス式に、カシスを白ワインで割ったカクテル、キールを出した。ふたりがキールをやっている間に、わたしはテーブルの準備をする。
  
冷蔵庫を開けて、ひーっ! 夫が冷やしていおいたワインは、白じゃなくて、赤だった。わーん、冷やした赤なんか、客に出せるわけないじゃないっ。

かといって、生ぬるい白も出せるわけないじゃない。んもう、うちの亭主ときたら、肝心なところで、こういうドジをちょいちょいやってくれるのだ。
  
急いで、白のボトルを冷凍庫に突っ込んで、五分間。あとはワインクーラーにたっぷりの氷を入れて出せば、なんとかなるだろう。

フランスのロワールに行ったときに、ワイン農家から仕入れてきた、シュベルニーの白。有名銘柄ではないけれど、まろやかで、味はいい。
  
相手がフランス人だと思うと、まったく、ワインからして気を使う。もっとも、フランスのスーパーに行けば五リットルのポリボトル入りの安ワインなんかあって、家庭では普段はそういうのを、水代わりに飲んで
いるようだから、そんなに神経質になることもないのかもしれないが。
    
夫が、ムシュウのグラスにワインを少しついで、味見をしてもらう。グラスを回すようにゆすってから鼻先に持っていき、匂いをかぐ。

それから一口飲んで、「Tres bon」などという。ここで「まずいじゃないか」と文句をいう人はまずいないから、まあ、これは儀式のようなものだろう。
  
この儀式で食事が始まり、メロンの前菜が終わった。メロンの皿をさげて、ロブスターの大皿を持って行くと、ムシュウの目が輝いた。
「オッホウ!」
と小さな感嘆の声が上がる。

ロブスターは、魚屋でスパッと縦に真っ二つに切ってくれる。その切り口から見える白い肉と、真っ赤な卵のコントラストが鮮やかである。
「オオ、赤いキャビア!」
ムシュウは、もみ手で舌なめずり。
  
まず、大きなハサミの部分から食べる。カニなどを食べるときに使う細長いスプーン状の道具、そういう気のきいたものが、当時のわが家にはなかったので、普通のフォークで身をせせり出すしかない。
  
ハサミの先の身は、うまくいけば、まるで型に流し込んだ鋳物のように、尖った先の部分まできれいに取れる。だがたいていは、先っちょの五ミリくらいがちぎれてしまう。夫とわたしは、こういったフォークの
先が届かない部分の身は、ごくわずかでもあるし、あきらめる。
  
ところがムシュウは、この五ミリをあきらめない。マダム、ごく小さなフォークはござんせんか、とおっしゃる。わたしはダダダッとキッチンに駆け込んで、引出しをかき回して、家中で一番小さいフォークを探し
てきた。
    
それで丁寧に、殻の隅々の五ミリをせせって食べていたが、こんどは、マダム、殻を割るものはござんせんか、ときた。

またしても、そんな気のきいたものが、わが家にはない。マダムはダダダッとキッチンに駆け込んで、引出しをかき回し、代わりにクルミ割り器を持ってきた。
  
わたしたちが普通はあきらめる、殻の硬いところや関節も、それでパキンパキンと砕いて、わずかな身も、小さなフォークでチマチマチマチマほじくって、彼はきれいにたいらげた。
  
このころになると、ムッシュウは英会話に疲れたようで、夫がフランス語をしゃべるのをよいことに、コミュニケーションのスイッチを、オールフランス語に切り替えてしまった。おいおい、マダムは無視かい。失礼なオヤジである。
  
フランス語なんぞ、さっぱりわかりまへんのわたしは、もっぱら食べることと、ムシュウを観察すること、そして台所駆け込み係に専念した。


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さて、いよいよロブスターの胴に移る。どこから食べるのかなとムシュウを見て、あっと驚いた。彼の口の端からは、真っ赤なロブスターの足がニョッキリ。細い足をパキンと折って、ちょうど日本人がスルメの
足をしゃぶるように、クチャクチャ噛んでいるのだ。
  
ムシュウはそうやって、クチャクチャ噛んでは捨て、噛んでは捨てして、半身についている五本の足を全部むしり取ってしまった。ひえーっ!

イギリス人にとってこんな光景はもう、カルチャーショックなんてもんじゃない。オットットは、阿呆のように口を開けている。わたしだって、ロブスターの足をカミカミする人なんて、初めて見た。
  
一挙に注目を浴びたムッシュウ、そのテラリと光ったおでこには
「ふっふっふ、ま、君たちアングロやジャップには味のことはわかるまいて」
みたいな優越感が、ペッタリと貼りついていた。
  
ああ驚いた。だけど、――あのー、その足って、洗ってないんですけどぉ……。だって、まさか足を口に入れるとは思わなかったもん。……ま、いいか。死にゃしないだろう。
  
足が終るとムシュウは、胴体に移った。当然、肉に直行だと思ったら、そうじゃない。まずハラワタである。わたしはあわびのハラワタなら、ソースにして肉にまぶして食べるのは好きだが、ロブスターのハラワタはちょっとソースにはならんぞ。

ところが彼は、灰色のハラワタも、ピンクの得体の知れぬブヨブヨも、全部きれーいに食べてしまった。
  
それからおもむろに、むっちりとした弾力のある白い肉にかかる。庭のチャイブをきざんで入れたオーロラソースを、ちょびっとつけて召し上がる。ワインを飲み、ナプキンでチョンチョンと口もとを押さえ、おしゃべりをしながら、肉をたいらげた。

それを見て、わたしは次のコースのチーズの用意をしようと立ち上がろうとしたら――
  
げげっ、卵を食べてるよ、このおっちゃん。殻の中には、まるでインクで染めたような鮮やかな赤い色をした、四センチくらいの塊がある。それは直径二、三ミリの卵が、蜘蛛の糸のような極細の糸でつながって、何百と集まったものだ。

やだ、ソースもなしでそのまんま食べてる。あんまりおいしいとは、思わないんだけどなあ。ロブスターの卵が珍味だなんて、聞いたこともないし。それを最後に取っておいたのは、よく子供が好きなものを最後に食べる、あれとおなじかしらん。
  
もはや、ムシュウの殻の中は見事に、文字通り、なーんにもない。それにひきかえわたしたちの殻はなんだ。殻の半分くらいを占めて、卵やらハラワタやらが残っているじゃないか。

まことにお恥ずかしい限りである。なーんか、日本で鮎を食べるときにハラワタを残してしまった、そういうきまりの悪さである。
  
ロブスターは大きいけれど、食べるところはその割りにはわずかなものだと思っていたが、いやいや、食通ともなればここまで食べられるのか。食物に対するこの、半端でない、真摯な態度にわたしは感服するとともに非常に好感を持った。

懸命に、丁寧に食べることは見ていて気持がいいだけでなく、なんだかそれは、食物に対する礼儀のような気がしてきた。
  
自然の恵みに感謝して、礼をつくして食べるとは、こういうことをいうのか。そういえば、フランスでは豚を屠殺して、捨てるものは何もないという。耳も足も内臓もすべて食べる。

内臓を詰めた、アンデュイエットという有名なソーセージもある。いや、豚だけではない。肉屋に行けは、胃袋、腎臓、舌はいうにおよばず、牛の髄骨、目ン玉、羊の脳だのがわらわらと並んでいる。そんなお国である。
  
それにしても、いやはや、恐れ入りました。ここまできれいに食べてもらえたら、海老くんも、じゃなくて、妊娠していた海老子さんも、本望でございましょう。

わたしはこれとおなじものを、ぜひ、もうひとつの食いしん坊民族である中国人に食べさせてみたい。そして、その食いっぷりを、とっくりと拝見したい。

そのために、殻を割る道具と、身をせせるスプーンを買い揃えたが、東洋の食の国からのお客は、まだない。

No.69 2004/7/17   

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