シャラポワ

イギリス生活よもやま話【エッセイ】

プロフィール

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Teeka(フリート妙子)。イギリス人と結婚して、イギリス南東部に住んで、15年が過ぎました(はっや〜い!)。
夫とのなれそめは、よくある話なんですが、彼がわたしの英語の先生だったことです。
静かな海辺の田舎町で、教師を退職した父ちゃん(夫)と、ふたりで暮らしています。

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シャラポワ

【スター誕生 ウィンブルドン2004 】 
  
そんなにものを知らんで、よう世の中生きてんなあ、と人から感心されるほどにスポーツオンチだったわたしが、イギリスに来てからウィンブルドンを観るようになった。

観るから解る、解るから面白い、となって、今ではもうすっかり、通である。ま、ウィンブルドンのことなら、わたしにお任せください。
  
さて、今年も、雨にたたられた全英選手権大会が終った。去年に続いて、男子シングルスで二度目の優勝を果たしたフェデラーが、泣いた。

選手は、他のメジャー・トーナメントで泣かなくても、このウィンブルドンでは、泣く。なんだかわたしは日本の高校野球を見るようで、じわーんとなってしまう。
  
そして今年は、新しいスターが誕生した。マリア・シャラポワ、女子シングルスで初の、ロシア人チャンピオン。しかも17歳という若さ、マルティナ・ヒンギスに次ぐ最年少である。

ボリス・ベッカーがノーシードから優勝したのが、やはり17歳のときで、ボリス・ベッカーの再来、あるいは第二のナブラチロワといわれる、メガスターの到来だ。
  
それにしても早い。早すぎる。その伸びようが、恐ろしく早い。シャラポワが2002年に、15歳でワールドランキング入りしたときには、532位だった。

この低ランクからわずか1年で、ジャパンオープン優勝、そして2年目でウィンブルドンで優勝してしまったのだから、とんでもない急成長ぶりである。
  
183センチの長身から打ち込む彼女のストロークは、女子選手としては史上最強といわれている。準々決勝で対戦して、その敢闘むなしく敗れた杉山愛選手も、「彼女の強打はすごかった」と話していた。
  
シャラポワは、相手の球がラケットを離れた瞬間、どこに飛んでくるかを正確に予測する。だから球が着地するときにその場所にいることができる。

このことは、テレビで決勝戦を解説していたボリス・ベッカーも言及していたが、一流の選手には、こういったレーダーのような能力が備わってくるのだという。
  
決勝戦で、この2年連続チャンピオンのセレナ・ウィリアムズは、怪我があったせいでもあろうが、完敗だった。

表彰式ではにこやかな笑顔を見せていたが、どんなにか悔しかったことだろう。そっとぬぐった涙を、あたしゃ見逃さなかったぞ。
  
それにしても、いつものことながら、ウィリアムズ姉妹のテニスウェア、なんとかなりまへんか。ここは何かい、ローマのコロセウムで、あんたは何かい、ライオンとでも闘うんかい。

ビロビロスカートの剣闘士ルックときては、こりゃ、ドレスセンスにおいてもシャラポワの勝ちだわ。


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1993年、モスクワで開催されたテニス・エキジビション――
5歳の小さな女の子が、ラケットを振っている。あまりにやせっぽちなので、ラケットを持つのがやっとに見える。
  
その姿に目をとめたのが、マルチナ・ナブラチロワ。このとき彼女は、すでにウィンブルドン9回制覇を果たした、スーパースターである。彼女が、父親のユーリ・シャラポワに提言した。

あの子は、将来のスタープレーヤーとして必要なすべての才能を備えている。ぜひ、フロリダのテニスアカデミーにやりなさい――。
  
なにしろあの、世界のナブラチロワからもらった御墨付。ここでユーリ父ちゃんが、星一徹にならぬはずがない。プロのスタープレーヤーをめざして、思いこんだら試練の道を、行くが親子のど根性。

ユーリ父ちゃんには、ちゃぶ台返しの得意技こそなかったが、貧しさのなかで、子の将来に賭ける気持はおなじである。
  
シャラポワ夫妻は、チェルノブイリの原発事故のあとシベリア西部に移住し、そこで一人娘のマリアが生まれた。

4歳でテニスを始めたが、子供用のラケットが買えず、古い大人用をグリップを短く切って使っていた。そんな一家にアメリカでのテニス修行など、容易なことではない。
  
ようやく1995年、ユーリはマリアを連れて、NBTA(ニック・ベレッティエリ・テニスアカデミー)の前に立った。このとき母親の旅費が工面できず、父娘ふたりでの渡米となった。ユーリの懐にあったのは、わずか700ドル(約7万6千円)である。
  
このアカデミー、カリスマ的有名コーチのニック・ベレッティエリが創立したテニススクールで、ジム・クーリエ、アンドレ・アガシ、モニカ・セレス、アンナ・クルニコワなどの有名プレーヤーを輩出した、名門中の名門だ。
  
ロシアからやってきたみすぼらしい親子を見て、「しょうがないなあ。まあ、一応球を打たせて、それで追い返すとするか」てな気持で、コーチのひとりが、しかたなくマリアをコートに連れて行った。

ところがこの七歳の少女、最初のストロークで、コーチの帽子を吹っ飛ばした。アカデミーは、本腰を入れた。
  
さて、ここから、貧困からのし上がるサクセスストーリー、おなじみのアメリカンドリームが始まる。

アカデミー側は、親子に宿泊所と食事を提供した。が、学費や生活費は稼がねばならない。ユーリはどんな仕事でもやった。己のすべてを犠牲にして、娘のために働く父親の姿を見ながら、マリアはトレーニングに励むのだった。
  
天性の才能に加えて、ハードワーカーのシャラポワは、コーチの教えをスポンジのように吸収するので、非常に教えやすい選手だという。彼女の力は急速に伸びた。

しかし、アカデミーでのいじめ、旧KGBによるシャラポワ父娘に対する脅迫など、アメリカンドリームの裏には、乗り越えねばならぬ数々の困難があった。
  
1997年、シャラポワはジュニア選手としては史上初の9歳で、100万ドルの契約をIMGと結ぶ。このときすでに彼女は、プリンスとの契約でそのラケットを使っていた。サングラスは、オークレイと契約。

10歳のときのインタビューでは、
「新しいテニスウェアが欲しいときは、ただナイキに電話すればいいの」
と語っている。
  
12歳でオーストラリアオープン、ジュニア部門の決勝進出。14歳でプロ選手となる。2002年、15歳で女子テニスのワールドランキング入り、532位。それからわずか2年で、ウィンブルドン優勝という、驚異の飛躍である。
 

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今年は、わが町マーゲイト出身の選手マイルズ・カスーリが、ジュニアの部でイギリス人としては32年ぶりの優勝を果たして話題になったが、彼がやはりNBTAで、シャラポワのクラスメートだという。
  
にわかに名を挙げたこのフロリダの名門校、費用はいったいどれくらいかかるのだろう。わたしはすぐにそういう下世話なことが気になる性質(たち)だが、まったく便利な世の中になったもんである。

パンフレットを取り寄せるまでもなく、インターネットで調べれば、NBTAのウェブサイトに、ちゃーんとお値段が載っていた。
  
ジュニアの部で、フルタイム寄宿生、2学期分が33200ドル(約359万円)。大人のコースはフルタイム寄宿生で、週905ドル(約9万8千円)。この他にも半日コースなど選択肢はいろいろとある。

いやはや、テニスも金のかかるスポーツである。もっとも、スポンサーがついたり賞金を稼げば、こんな投資はすぐに回収できる。ちなみに、今回のシャラポワの獲得賞金、日本円にして、約1億1200万円也。
  
優勝が決定したとき、シャラポワは観客席に駆け上がって、ボックスにいた父親と涙の抱擁を交した。そのあとコートに降りて、アメリカにいる母親に携帯電話で優勝の報告をしようとしたが、つながらなかった。
  
"Come on, technology !"

イライラしてそう叫んだ彼女の姿が、テレビに映った。するとどうだろう、次の朝の新聞に、ボーダフォンが携帯電話のコマーシャルに、ベカムを降ろしてシャラポワを起用することを検討している、という記事が載っていた。
  
ベカムは先日の欧州選手権で不調で、ペナルティキックを2度も失敗して、イギリスでは人気ガタ落ちなのだ。かくもスポーツは、今やメジャーなビジネスとなっている。非常に変遷の激しいビジネスではあるが。
  
新しいスターの誕生とともに、消えていくスターがいる。シャラポワを発掘したナブラチロワ(47歳)が、来年の引退を控えて、今回を最後に、ウィンブルドンから姿を消す。

9つのシングルスタイトル、男女を通じて未踏の最多記録を打ち立てたスーパースターが、生まれたばかりのスーパースターにバトンを渡した。新旧交代の時の流れを、くっきりと見せてくれた、今回の大会だった。

No.68 2004/7/10   

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