結婚式 (2)

イギリス生活よもやま話【エッセイ】

プロフィール

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Teeka(フリート妙子)。イギリス人と結婚して、イギリス南東部に住んで、15年が過ぎました(はっや〜い!)。
夫とのなれそめは、よくある話なんですが、彼がわたしの英語の先生だったことです。
静かな海辺の田舎町で、教師を退職した父ちゃん(夫)と、ふたりで暮らしています。

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結婚式 (2)

【イギリス式ウェディング Part 2】  

Sometning old, something new,
Sometning borrowed, something blue
And a silver sixpence in your shoe.
  
何か古いもの、何か新しいもの、
何か借りたもの、何か青いもの、
そして靴に入れた6ペンス銀貨。
  
これは、イギリスの十九世紀ヴィクトリア時代から伝わる、おまじないである。結婚式に、花嫁がこれらのものを身につけると、幸せになれるという。
  
〈何か古いもの〉は、花嫁の家族や、自分の過去とのつながりを示すもの。そして、これからの新しい人生の門出を祝って、〈何か新しいもの〉を身につける。〈何か借りたもの〉は、幸せな結婚をしている人から何かを借りて、それにあやかろうということだろう。
  
〈何か青いもの〉、これは聖母マリアが、よく青い衣装や青いサッシュをつけた姿で描かれるように、青が純潔と貞節をあらわす色とされているから。

靴に入れた六ペンス銀貨は、裕福になれるようにとの願いをこめたものだったが、今ではこの銀貨の部分だけが廃(すた)れてしまった。
  
わたしは、まじないや迷信はあまり信じないけれど、面白半分で、これをやってみた。わたしの〈何か古いもの〉は、義母の結婚指輪である。夫の両親は、すでに鬼籍に入って二十年近くになる。

兄弟ふたりきり、娘のいない家族なので、義母が亡くなったとき、弟の嫁のヘカが形見分けとして、ジュエリーをもらった。
  
そのなかに、22Kの金の結婚指輪があったので、サイズを直してわたしの結婚指輪にするようにと、ヘカが譲ってくれたのだ。これは嬉しいプレゼントだった。

仲の良い夫婦だったという、夫の両親。金婚式のときの写真で、微笑む美しい義母の指に嵌まっていた指輪。
  
五十年以上を経たその指輪を、わたしが受け継いで十二年。わたしには子供がいないので、わたしが死んだら、これをヘカの娘に譲り渡そう。そうすれば、この指輪が代々、フリート家の女性たちに受け継がれて行く。

そう思うと、家族の歴史を秘めた指輪には、ただの貴金属以上の価値が付く。失えば取り替えはできないものだから、大切にする。

〈何か新しいもの〉は手製のウェディングドレス。アンティークのドレスが欲しかったけれどとても手が出ないので、図書館へ行ってヴィクトリア時代の銅版画を捜し、そこに描かれている衣装を参考にして型紙を起こして、一週間で縫いあげた。
  
そして、水色のレースの靴下留めをつけて〈何か青いもの〉とした。と、こうやって十二年前を思い出して書いているのだが、〈何か借りたもの〉が、どうしても思い出せないでいる。たしかに四つ、そろえたはずなのだが……。

 
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わたしたちは、六月六日に結婚した。映画『史上最大の作戦・The longest day』でおなじみの、ノルマンディ上陸作戦の決行日、D−DAY(ディーデイ)と重なった。

別に意識したわけではなく、ただその年の土曜日が六日だったというだけのこと。とはいえ、法的な結婚記念日は五日である。

わたしたちは五日と六日、二日連続で結婚式を二度やった。いや、二度やったというよりは、ひとつの式を二日に分けたというべきだろう。

最初の日に、地元のレジスターオフィス(戸籍登録所)で式を挙げ、そのあと友人や同僚を招いて披露宴をやった。
  
そして翌日、義弟のいるケンブリッジに移動して、教会で式を挙げ、親戚縁者を招いての披露宴を行った。

これは世話をしてくれた義弟の提案で、親戚がマーゲイトからは遠く離れた地域に散らばっているので、皆が集まるのに、ケンブリッジが地理的に都合がよかったからである。
  
二度の結婚式をやって、いずれも地味な婚礼だったが、総費用は日本円にして四十万円以下だった。これは1992年のことであって、今のイギリスではこんな金額ではない。この十数年で、イギリスの物価は急騰した。
  
マーゲイトでのウェディングで、唯一の贅沢といえば、式や披露宴の往復のためにハイヤーした車である。1938年製のロールスロイスが、八十ポンド(当時のレートで二万円)。

黒とバーガンディのツートンカラーのクラシックカーに、夫とわたしが乗り込むと、運転手は披露宴会場に直行せずに、わざわざマーゲイトの目抜き通りをゆっくりと走った。白いリボンで飾られたピカピカのロールスロイスが通れば、道行く人々は皆こちらを見る。そして手を振った。
  
「あれえ、みんな手を振ってるよ。あんたって、そんなに知り合い多かったっけ?」
「何いってんだ、違うよ。知らない人たちがお祝いしてくれているんだよ。ほら、きみも手を振って」
  
いやあ、高級車に乗って、下々の民衆に手を振る女王陛下の気分とは、こういうものなんだ。うん、いいねえ、こりゃあ。

道を行く老若男女、そして学校帰りの子供たちまで、みんな手を振ってくれた。なんだかマーゲイト中が祝ってくれているようで、うれしかった。

 
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マーゲイトでのウェディングを終えて、次の日、衣装とケーキを車に積んで、わたしたちはケンブリッジへ行った。弟のバリーの家に着くと、すぐに着替えて、支度である。

夫と参列者全員が先に教会へ行き、家にはわたしと義妹のヘカが残った。義妹といっても、彼女のほうがわたしより年長である。わたしと夫は十七も年が離れているので、夫の弟夫婦はわたしより年上なのだ。
  
花嫁の付添い役のブライドメイドを省略したので、そのかわりに、ヘカがわたしに付添って教会まで行くという段取りになっていた。

わたしは早めに支度を終え、リビングのソファで、英語の結婚の誓いの文句を、ぎりぎりまで練習した。だって、誓いでトチったら、カッコ悪いもの。
  
やがてヘカが、自分の支度を終えて、二階から降りてきた。ちょうどハイヤーのベンツが到着して、じゃあ、出かけましょうとソファから立ち上がると、ヘカはわたしの前に立ってにっこり微笑み、両手を広げて言った。
  
「タエコ、遠い日本からよく来てくれたわね。兄さんにお嫁さんが来るのを、どんなに長いあいだ待っていたことか。わたしたちファミリーの一員になってくれて、本当にありがとう」
  
そのままわたしはヘカにハグされて、もう、もう、ダメ。喉の奥には熱い塊がこみあげ、目はうるうる、口はヘの字にゆがんで、言葉が出ない。

わたしは再婚だし、夫は晩婚もいいところ。おじさんとおばさんの結婚なので、泣くことはないと思っていた。ヘカの言葉は、暖かい陽だまりの水が砂に沁み入るように心に浸透し、しみじみとうれしかった。
  
式が終って、披露宴が終ると、弟夫婦が自宅での二次会を用意してくれていた。ビュッフェ式のパーティで、食べ物もごく簡単なスナックだけ。そこで、思いがけないプレゼントが待っていた。
  
ピアノ教師であるヘカがグランドピアノを、ふたりの娘の、姉がヴァイオリンを、そして妹がチェロを弾いて、わたしたちのためにお祝いのミニコンサートを開いてくれたのだ。

そのときの演奏が、グリンカの『Der Zweifel.Romanze』という美しい曲。わたしはこのときの楽譜をヘカにねだって、今も大切に持っている。
  
式が終って七月になってから、ひと月遅れのハネムーンで、フランスのノルマンディに行った。田舎で借りたコテッジの庭で、夕陽のなかでワインを傾けながら、わたしはふと気になっていたことを、思い出した。
  
式を挙げると決めたとき、夫は自分に任せろ、費用については心配するなといってくれた。

わたしは当時、仕事もなく貧乏だったし(今も大差ないが)、夫はイギリス人の典型で貯金はゼロ、稼いだお金は全部ホリディ(休暇)で使ってしまうという、ライフスタイル。

余裕なんかあるはずがない。いったいどう工面したんだろう。
しつこく聞くと、彼は笑っていった。
  
「切手を売ったんだよ」
  
ハッとした。思いがけない言葉だった。
――そうだったのか。あんなに大切にしているコレクションを……。
  
子供のころから一貫して、夫は切手を蒐集している。そのコレクションから数枚の切手を選んで、ロンドンの切手商に持って行くと、千二百ポンドで売れたという。当時のレートで、日本円にして三十万円である。
  
それが、わたしたちの結婚費用の大部分をカバーしてくれた。彼はどんな気持で、その切手を手放したのだろうか。

そんなことなら、二度も披露宴をしなくてもよかったものを。クラシックカーなんか、借りなくてもよかったのに。もっと安いウェディングが、いくらでもできたのに。
  
「自分の大切なものを相手のために売るなんて、いいじゃないか、ロマンチックで。ほら、O・ヘンリーの短編にあるだろ」
「The gift of the Magi(賢者の贈り物)?」
「それそれ」
  
あれは、愛し合うふたりが、お互いに相手のために、自分の大切なものを売る話じゃないか――。

売るものが何もなかった、というより、自分の大切なものを売るなんて、考えてもみなかったわたしは、チクリと胸が痛かった。

No.65 2004/6/19     

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