歳時記

イギリス生活よもやま話【エッセイ】

プロフィール

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Teeka(フリート妙子)。イギリス人と結婚して、イギリス南東部に住んで、15年が過ぎました(はっや〜い!)。
夫とのなれそめは、よくある話なんですが、彼がわたしの英語の先生だったことです。
静かな海辺の田舎町で、教師を退職した父ちゃん(夫)と、ふたりで暮らしています。

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イギリス生活よもやま話【ブログ】

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歳時記

【風流をご存知ない】  
    
日本での開花からおよそひと月遅れて、桜が咲いた。
わが家は閑静な住宅街にあるが、家のまん前が小学校である。その小学校の前庭に七、八本の桜が植わっている。

どういう種類なのかは知らないが、この桜が、けっこう興ざめなんである。日本の桜の〈清楚〉というイメージにはほど遠い。
  
開花が近づくと、まず葉が出てくる。その葉の色が赤みがかった茶色で、これは子供のころの懐かしき〈さくらクレパス〉の茶色、あるいは〈ペンテルえのぐ〉の茶色を、チューブからにゅにゅっと絞り出したそのままの色である。
  
その葉が繁って、樹全体が赤茶になったころに、こんどは八重の花が咲く。その色がまた、桃色というのか、よく女の子の玩具に使われているような濃いピンクなのだ。

ちょっと想像してみてくださいな、さくらクレパスの、茶色と桃色の、激しいコントラストを。この強い色調の花が、赤茶の葉と拮抗して咲いているさまは、きれいというよりは、うるさい、暑苦しい。

花も葉も、われがわれがとせめぎ譲らず、喧騒のうちに咲くのは、こういっちゃあナンですが、ある種の西洋の女たちを思わせるんだよねえ、派手で、性格キツめで、押しの強い……。
  
それにひきかえ、日本の桜は、あたくしたち日本女性のごとく、淡雪のように儚(はかな)げでひかえめで、凛(りん)とした気品がある(ホンマかいな、という声も聞こえるが、ま、ま、そういうことにしとこう、なっ)。

ああ、この楚々とした桜を、わたしは何年見ていないだろうか。指折り数えると……、もう、十三年になる。
  
あれはクリスマスだったか、パーティで会ったマークという、年のころ五十前後とおぼしき中年男性が、
「四月の始めに出張で日本に行くんだが、何か見るものはあるかね」
とわたしに聞いてきた。

四月といえば、そりゃもう桜でしょう、チェリー・ブロッサム、日本の桜は世界一きれいです、といおうとしたら、彼は手を挙げて制した。
  
「おっと、頼むからチェリー・ブロッサムなんていわないでくれよな。あんなものは一度見りゃ、もう充分。それよりもっとおもしろいものない? ほら、秋に naughty mushroom(いやらしいマッシュルーム)が出るじゃない、ああいうエキサイティングなものって、春にはないの?」
  
わたしは口あんぐり。
唖然として、返す言葉がない。
  
いやらしいマッシュルームとは、松茸のことである。出張で何度か日本に行っている彼は、松茸が自分の体のある部分に酷似していることを発見して、たいそうお気に入りなのである。
  
お気に入りといっても、接待で連れていってもらった料理屋で食べた松茸の味や匂いを、賞賛しているわけでもない。

ただ、八百屋の店頭で見た高価なマッシュルームの、あの形がインタレスティングだと、ニヤニヤするのだ。それはまあいいとして、ショックだったのは、マークがうっとおしそうにいったあの一言。
  
桜なんて一度見りゃ、もう充分。
  
なんという違いだろう。わたしたち日本人は、毎年毎年、おなじ桜をあんなにも楽しみにしているというのに。去年見たから今年はもう見たくないという日本人が、どこにいるだろうか。
  
桜を観賞する習慣が、いつごろから始まったのか、わたしは不明にして知らないが、広重や春潮の浮世絵に花見の図があることから、江戸後期には庶民の行楽行事として定着していたことがわかる。

それから数えても、百五十年近くなる。その長きにわたって、日本人は、毎年飽きもせず、桜に心をうばわれる。

さらには桜を賞(め)でるだけではなく、はらはらと散りゆく花びらに、世の虚ろさを、はかなさを、そして滅びの美学をあわせ見る感性を持つ日本人て、いったい……。
  
  
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英語教師のスーが、日本に行って一年間滞在し、イギリスに帰国した。わが家で、夕食をかこんでみやげ話を聞いていたとき、日本の食べ物の話になった。

ベジタリアンの彼女には、和食がよく合ったようで、「アゲダシドウフが大好き」などと懐かしい名前を挙げるものだから、たちまちわたしも、ああ、食べたい、食べたい、食べたいよぉ、とホームシックならぬ、フードシックになってしまった。
  
と、それから突然スーの顔が曇り、眉間にシワをよせてこんな話をしたのだ。

ある日、彼女がレストランで定食を注文すると、出てきたお膳に小鉢があって、そこになにやら黄色と緑の見慣れぬものが――。
  
いったい何だろうと思ってよく見て、スーは仰天した。
――それは菜の花だった。

ちょ、ちょっと待ってよォ! 冗談じゃないよっ! 
わたしゃ牛じゃないんだからぁ!
日本人は牛の餌を食べるのか。なんと野蛮な……。
  
これを聞いて、仰天したのはわたしの方だ。
なんと、イギリスには、季節感を味わうという文化がないのか。
  
あのねえ、あんた、なにも菜の花を、飼葉桶に山盛り食べようってんじゃあるまいし。ほんのちょっぴりお鉢に盛って、さあ、今年も春がやってきましたよ、春の香りをどうぞ、というメッセージなのだと説明したのだけれど、彼女はてんで納得しなかった。
  
そのお膳には、もしかしたら、柔らかな春の筍を炊き込んだご飯と、若竹汁のお椀などが、ついていたかもしれない。そんな思いをめぐらせたのだが、そういうものを、このイギリス人に英語で説明する気など、たちまち萎えてしまった。
  

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わが家の前の小学校の桜は、満開を過ぎると、ようやく葉の茶色が褪せて薄まり、そこに柔らかな緑が滲んで不思議な色合いになる。そして、花が散りはじめると、主役を交代するように、緑が広がっていく。
  
今年こそ、桜葉の塩漬けをつくろう。毎年そう思うのだが、いつも、気がついたときには、若葉の季節を過ぎてしまっている。

日本じゃ、ちょいとサンダルつっかけて、コンビニでも行けば手に入る桜餅。ところが、ここではそうはいかない。すべてが、手作りである。
  
今だ。花が散り始めた今、葉は柔らかい。わたしの背丈では枝に手が届かないので、オットットを駈りだした。花吹雪のなかで、虫食いのないきれいな葉を摘みながら、彼の顔面には、大きなハテナマークがへばりついている。いったいこんなもの、どうするんだ?
  
三十枚ばかりの葉を洗って、湯通しすると、ふわりとあの懐かしい香りが立ちあがった。

「ほらほら、これ、桜の匂いよ」
鼻先に持っていくと、クンクンと嗅いではみるが、反応はただ一言。
「So what?(それがどうかした?)」
  
――あーあ、これだもんなあ。
ま、イギリス人の君にゃ、風雅なんちゅうもんは、ちと難しすぎるかも知れんな。

ふん、春の匂いも観賞できんニブイ奴なんか、桜餅を作っても絶対
に、やらんからな。貴重な材料が、もったいない。これは、日本人の友達と食べるんだもんねーだ。
  
それにしても、なぜイギリス人には、季節に対する感性がないのだろう。おそらくそれは、この国に四季がないからだろう。そして、乾燥した大気も、関与しているかもしれない。
  
イギリスには、季節は春と冬の二つしかない。英語に四季の言葉はあっても、気温が三十度を越えることがめったにない夏は、日本の炎暑を知るわたしにとっては、暖かい春である。

そして、灰色の空ばかりで、さわやかな秋晴れもめったになく、紅葉もない秋は、暖かい冬にすぎない。
  
乾燥した大気は、人をもドライにするのではないだろうか。古くから日本人は、四季の移ろいを敏感な感覚で感じ取ってきたが、それには、しっとりとした湿気のある風土が、寄与しているのではないだろうか。
  
日本人は、自然と、暮らしと、生きとし生ける物の万象を詩の心で受け止め、それを句や歌に託してきた。そこから歳時記が生まれた。

歳時記があるのは、世界広しといえども日本だけのようだ。こういった繊細な美意識を持つ日本人に生まれたことを、わたしは誇りに思っている。


No.59 2004/5/1

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