【距離感】
イギリスに来る前の三年間、わたしは奈良に住んでいた。近鉄奈良駅の近くで、また、鹿と修学旅行生の生息する奈良公園にも近い、一等地である。
わたしのアパートの東の窓からは若草山が、南のトイレの窓からは、興福寺の五重塔が見えた。
そして、キッチンの窓からは東大寺の大仏殿が見え(というのは真っ赤なウソで、見えるのは隣にそびえる駐車場)、はたまた、風呂場の窓からは、春日大社の宝物殿にある赤糸威鎧(あかいとおどしよろい)が見え……(そんなもん、逆立ちしても見えまっかいな)。
とまあ、そんなこんなで、滅法その地が気に入っていた。しかしそんなことは、この際、どうでもよろしいのである。
ある日のこと――。
近鉄奈良駅前を、ぶらぶら歩いていると、若い男性が、カタコトの英語で話しかけてきた。アキハバラへは、どう行けばよいのか教えてくれという。
えっ? アキハバラって……あの秋葉原のこと?
彼はうれしそうに、うんうんとうなづいた。
おいおい、ちょっと待てよ。秋葉原は東京だから、えーと、ここからだとまず大阪に出て、それから飛行機か新幹線で東京に行かないと……。
と、お粗末な英語でいうと、若者は上着のポケットからサッと日本語と韓国語の会話集を取り出して、パッとページをめくり、ある一行を指で示して、わたしに見せた。
「そこへ地下鉄で行くにはどう行けばよいのですか?」
ゲッ、地下鉄? あ、あのね、東京へは地下鉄じゃ行けないの。新幹線で三時間もかかるくらい、うーんと離れているんだから。それよりも、電気製品を買うのなら、大阪の日本橋に行ったらどうですか。
その方が近いし、安い電気製品の店が集まっている日本橋は、まあ、いわば大阪の秋葉原みたいなもんだから。それに、今から東京へ行っても、遅くなってお店が閉まっちゃうよ。
と、わたしは下手くそな英語を駆使して、脂汗をかきながら、親切に説明したつもりなのに、相手はぜーんぜんわかってくれない。
そして判明したのが、最初に話しかけてきた「〜へはどう行けばよいのか教えてください」という構文が、彼の知っている唯一の英語のセンテンスであったという、恐ろしい事実である。
とにかく相手は、奈良と東京の距離を、奈良と大阪ぐらいに考えているのだから、まずこれを是正せにゃならん。
わたしは、彼の持っていたメモ帳に日本の地図を書いて、うーんと、ここが奈良でしょ、そんでここが大阪。で、東京はこっち。ね、秋葉原は東京だから、こーんだけ離れているの。
だから地下鉄はないの。地下鉄じゃダーメッ。行けないのッ。ノー・サブウェイ、アンダスタン?
彼は、ふむふむとその地図をながめていたが、「オッケイ!」と力強くうなづいた。そして、またもやあの会話集をパッと取り出して、一行を指さした。
「その電車は何分おきに出ますか?」
んだあああー! あ、あんたネ、何聞いてんねん。ノー・サブウェイって言うたやん。なにが「オッケイ!」じゃ。
しかし、わずか十センチにも満たない日本列島の略図で、実際の距離感をつかめというのも、どだい無理な話かもしれん。自分の非力を痛感したわたしは、とうとう、駅前の交番のポリさんに説明して、押しつけてしまった。
国際観光都市の駅前のポリさんなら、こういったケースも慣れているだろうと思ったのだけれど、あの人、結局どうしたんだろう……。
それにしても、だ。お兄さん、頼むよォ。もうちょっと勉強してから来てちょうだいな。だいたいが、日本語も英語もわからず、距離感もつかめないまま旅をしようというのだから、恐ろしいことである。
日本人がひとりで外国へ行こうってなれば、ちゃんとガイドブックで下調べをして、それなりに距離感をつかんでから、出かけるものじゃありません?
それからかなりの年月がたって――。
わたしはイギリス人の夫と、車でフランスを旅していた。古城で有名なロワール地方の、ある町の観光案内所で、夫がフランスの文豪たちのゆかりの地を紹介したパンフレットをみつけた。
それを見ると、おっ、ロワールにバルザックの城館があるではないか。サシェにあるその館は、アゼー・ル・リドー城の近くである。そして、その日の行程は、ロワールからドルドーニュに南下するのだから、ちょうどいい、その途中にあるノアンにも、寄れるかもしれない。
ノアンには、ジョルジュ・サンドのシャトーがある。サンドが、愛人のショパンと共に過ごした館である。
わたしたちは、地図をにらんで計算した。そして、サシェとノアンに寄って、なおかつ晩までに、予約してある宿に着けるであろうと判断して、出発した。
柔らかな秋の陽を浴びたサシェの田舎は美しく、『谷間の百合』の舞台を髣髴とさせた。豊かな自然のなかに、ひっそりと佇むバルザックの城は、男性的で粗削りな石造りの館である。彼がここで『ゴリオ爺さん』を書いた机は、こじんまりとして質素なものだった。
さて、サシェを出てさらに南下した。
が、行けども、行けども、行けども、行けども――
一向に、ノアンに近づく気配がない。道をまちがえたのではない。田舎道の走行時間と距離を、きちんと把握していなかったための、完全な計算ミスである。
ノアンはサシェの南といえども、かなり東に位置している。これではノアンに寄っていたら、予約していた宿の夕食の時間に間に合いそうもない。
わたしたちはフランスの道を車で走るのは慣れている。そして、わたしもフランスでのナビゲーションには相当の修練を積んだので、自信がある。こんなミスは、はじめてだった。
ノアンをあきらめて、ドルドーニュに向かったが、しっかり地図を見ていてもこれだもの、見知らぬ国で、見知らぬ土地で、思わぬ計算ちがいをすることもあるのだと、知った。
このことがあって以来、わたしはふか〜く反省した。もう二度と、「奈良から東京まで、地下鉄でどう行ったらよいでしょうか」などとのたまう観光客を、決して嗤うまいぞよ。
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