【スクール・ラン】
かれこれ十年ばかり前のこと――。
目の前が海、砂浜まで一分という、景色だけは良いフラットから、今の家に引越した。
越してきた次の朝、ワイワイガヤガヤと表が騒がしい。なんだ、なんだ、朝っぱらから。窓からのぞくと、家の前の道路にずらーっと車がならんで、突然に湧いて出たように、子供と大人でごったがえしている。
あ、そうか、うちはお向かいが小学校だったんだ。道路をへだてて、わが家の玄関の斜め向かいに、校門がある。車から子供を連れ出して、校門へと向かう親たち。
あら? 今日は授業参観日? と思いながら見ていると、校門のところでバイバイして、親は帰っていく。九時を過ぎると通りはしーんと静まり返って、閑静な住宅街に戻った。
そして午後三時に、また校門の前に人垣ができる。子供が出てくるのを待つあいだ、お母さんお父さん、あるいは爺ちゃん婆ちゃんで、井戸端会議に花が咲く。
ちょっと、ちょっとォ。子供を車で送迎なんて、イギリスの親たちっ、そんな過保護でどないすんねん。ここは小学校だよ、小学校。幼稚園じゃないんだからァ。日本じゃネ、送り迎えは幼稚園で卒業するんだぞ。
小学生になったんだから、ほら、右見て左見て、ちゃんと横断歩道を渡るんだよ。そう言いきかせて、日本の親は学校へ子供を送り出す。それなのに、なんだいこりゃ。欧米では早くから親離れさせて、自立心を養うと聞いていたのに、いったいどういうこと?
と、安全神話の国ニッポンから来てまもないわたしは、あきれ返ったものだ。(もっとも、この安全神話はオームのサリン事件以来、崩壊してしまったけれど)
この当時は、イギリスはまだひどい不況の最中で、送迎の父兄の中にかなりの数で男性の姿があった。自由業の父親もいるが、多くは失業者である。イギリスの失業者260万の現実を、はからずも、わたしは二階の窓から、直視することとなった。
それからまもなく、このスクール・ラン(school run、イギリスでは学校への送迎のことをこう呼ぶ)が、過保護などとはとんでもない、それは、日本人であるわたしの安全ボケから出たコンセプトだと、わかった。
小さな子供を持つ友人の話によると、イギリスでは子供の誘拐は身代金よりも、性的虐待が目的であることが、圧倒的に多い。
日本で「変質者のいたずら」などと呼んでる、そういう類の件が、よく起きる。だから彼女は、毎日、せっせと子供を迎えに行かにゃならぬ。いやあ、イギリスの親ってホント、大変です。
ところが――
あれから十年たった今、日本にも似たような状況が忍び寄っている。インターネットで日本のニュースを見ると、犯罪が西欧化したというのか、監禁、誘拐、レイプだのといった、児童をターゲットとした性犯罪が増えているのに驚く。
そして、こういった社会現象を反映して脚光を浴びてきたのが、誘拐対策関連商品。さすがは世界のハイテク王国、ニッポンである。
子供に持たせる防犯ブザーはもちろんのこと、なんでも、春に警報ブザー付きの女児用スカートが発売されたという。そして、この11月には「防犯性能強化型ランドセル」が発売される(された?)そうな。
これは、ランドセルの肩ベルトなどに防犯ブザーの紐がついていて、いざというときにこれを引くと、ブザーが鳴り出し、ちょっとやそっとでは鳴りやまないというシロモノ。
また、路上で犯罪に巻き込まれそうになった子供をタクシーに保護したり、警察に通報したりという防犯協力体制を敷くタクシー会社も、あるという。
そして、日本以上にこういった犯罪の深刻な海外では、その所在を追跡するために、子供に持たせる小型のGPS測位機や、皮膚に埋め込むIDチップが登場した。まったく、なんという情けない世になっちゃったんだろう。
まだそんなハイテク防犯グッズのない時代から、すでにこの種の犯罪が多発していたせいかどうか、イギリスの親は防犯ブザーなどというものを、あてにしない。自分の子は、自分で守る。自分の眼で、安全を確認する。
そのためにイギリスでは、スクール・ランという習慣が、全国的に定着している。親は、子供が中学生ぐらいになるまで、毎日毎日、送り迎えをするのである。
しかも、学校だけではない。放課後にピアノやバレエといった習い事をしたり、水泳教室に通うとなると、また送り迎えをする。
これを、仮に、保育園の三歳から始めて、十三歳までやるとすると、じつに十年間。イギリスの親は子の送迎のために、人生のうちのかなりの時間を費やすことになる。
もちろん、暇があるからやるのではない。自分の子を守るために、それだけの時間を割くことを、必要不可欠と認めているからだ。
統計をあたったわけではないが、イギリスの専業主婦の数は、日本よりはるかに少ないはずだ。結婚しても、ほとんどの女性が仕事を持っている。
仕事を持つお母さんならわかっていただけるだろうが、一口に送り迎えといえども、毎日のことなので、なかなか大変である。当然、母親が迎えに行けないときもある。そういうときには代理を頼む。
両親が都合がつかないときは、お爺ちゃんかお婆ちゃん、それがだめなら、しゃあない、ポチにドッグフードのおやつをおまけして、お願いする。
それもだめなら、猫のトムに「一杯おごるからさ、ひとつ頼むよ」なんて手を合わせる。それもだめなら、ハムスターのチロにかけあって……。と、まあ、とにかく家族総動員して、これに当たる。
家庭によっては、祖父母に孫の面倒を頼めない場合もある。イギリス人は「孫の面倒なんか堪忍してくれよォ」というタイプが、案外と多いし、遠くに住んでいれば、ジジババをあてにはできない。
そこで、強力な助っ人となるのが、同級生の親同士。二、三人でグループを組んで、スクール・ランを交替でやるのである。それもできない場合には、お金を払って人を頼むことも、やむをえない。
もちろん学校側も、迎えに来る者には誰でも子供を引き渡すわけではない。わたしが友人のピンチヒッターで迎えに行ったときには、友人が前もって担任の先生に、こういう日本人が来るからと、連絡を入れてあった。
このスクール・ランを、イギリスの母親は十年近く続けるわけだから、誰かそれを肩代わりしてくれる人がいない限り、フルタイムで働くことは難しい。だから、多くがパートタイマーである。
このイギリスの現状を毎日見ていると、子供にハイテク防犯グッズを持たせれば良い、という問題ではないんじゃないかと思う。ましてや、子供の皮膚にチップを埋め込むなんて、考えただけでも恐ろしい。
犯罪者が、ナイフでそれをえぐり取ってしまえば、何の役にもたたなくなる。防犯ブザーも、かえって相手を逆上させてしまう危険性も、あるのだ。
イギリス人のように、自分の時間を犠牲にしてでも、子供と共にいる時間をつくる。自分の子は、自分で守る。自分の眼で、安全を確認する。それが、子供を犯罪から守る、一番確かで、まっとうな方法ではないだろうか。
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