チャールズ・ディケンズ

イギリス生活よもやま話【エッセイ】

プロフィール

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Teeka(フリート妙子)。イギリス人と結婚して、イギリス南東部に住んで、15年が過ぎました(はっや〜い!)。
夫とのなれそめは、よくある話なんですが、彼がわたしの英語の先生だったことです。
静かな海辺の田舎町で、教師を退職した父ちゃん(夫)と、ふたりで暮らしています。

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チャールズ・ディケンズ

【ディケンズとアンデルセン】
  
ロンドンからおよそ50キロ東に、ロチェスターという、古く美しい町がある。そして、この町の郊外のハイアムにあるのが、ガズヒルという、赤いレンガの由緒あるお屋敷。
  
一八ニ〇年ころ――
十歳に満たない少年の手を引いた親子が、散歩の途中で、立ち止まる。道路に面した木立のむこうには、屋根に風見の小塔のある三階建の大邸宅が見える。

「父さん、素晴らしいお家だね」
「ああ、そうだね。おまえが学校を出て一所懸命働いたら、いつかは、あの家に住むことができるかもしれないよ」
  
それからしばらくして、海軍の事務職あったこの父は、浪費が祟って借金をこしらえてしまう。当時のイギリスでは、借金は刑罰の対象であり、懲役が課されていた。

父が刑務所に入ったあと、長男であるこの少年は、学校を辞め、十歳で染色工場に働きに出ることを、余儀なくされた。
  
それから三十年余り――
少年は工場労働者から新聞記者、編集者を経て小説家となり、四十四歳で、ついに、子供のころからの夢であり憧れであったガズヒルの屋敷を、手に入れるのである。
  
ここで暮らした十四年間に、『二都物語』、『大いなる野望』などを書き上げ、妻とは離婚に至ったものの、九人の子供に恵まれた。そして、この屋敷のダイニングルームで、波乱に満ちた五十八年の生涯を閉じた。
    
 
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チャールズ・ディケンズの邸宅であったガズヒルの屋敷は、現在は、私立の小さな女子校として、使われている。この屋敷が、月に一度、日曜日に一般公開されると聞いて、行ってみた。
  
十人ぐらいのグループごとにガイドがついて、家の中を案内してくれる。かつてディケンズが執筆した書斎が、校長室になっていたりするが、この館は、学校としての機能を果たしながらも、ディケンズが住んだ当時の様子が、よく保存されている。
  
さて、この家にはひとつ、面白いものがある。それは二階の寝室で、そのドアの上には札がかかり、こう記されている。
  
《ハンス・アンンデルセンここに滞在する――あまりにも長く》
  
あら? アンデルセン?
あの『マッチ売りの少女』や『人魚ひめ』を書いたアンデルセン?
  
そう、あのアンデルセンですよと、ガイドがうなづいた。
このデンマークの童話作家は、ある日突然、当時すでに有名作家だったディケンズの屋敷にやってきて、勝手にあがり込んだというのだ。
  
出版社を通じて、それまでに二人の間に面識はあったので、ディケンズはアンデルセンを客としてもてなしたことだろう。しかし、彼は忙しい売れっ子作家だし、主宰している雑誌の仕事もあるから、暇な童話作家の相手ばかりも、していられない。
  
一週間たっても、アンデルセンは一向に腰を上げる気配がない。ディケンズが、仕事でロンドンに行かなければならないからと促しても、「ああ、どうぞ行ってらっしゃい。わたしゃ、ここでゆっくりしてますからな」と動じない。
  
そのうえアンデルセンは、居候のくせに、文句たらたら。毎朝の髭そりのような些細なことについて、ああだこうだと注文をつける。そして、ちょっとのことで、病気ではないかとくよくよする心気症で、もう家族はうんざりである。
  
ガイドの説明を聞くと、どうもアンデルセンは、歓迎したいタイプでは
なく、むしろ、すみやかにお引取り願いたいタイプの客である。さらに、お友達にはなりたくないタイプのようでもある。
  
二週間たっても三週間たっても居坐りつづけるアンデルセンに、「ほとほと手を焼いているのです」と、友人に宛てた手紙のなかで、ディケンズは愚痴をこぼしている。
  
五週間たって、ようやくアンデルセンは出立した。
ディケンズは、大いなる怒りと皮肉をこめて、アンデルセンが使ったこの寝室に、記念の札を打ちつけたのである。
    

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この逸話は、わたしが抱いていたアンデルセンのイメージを覆(くつがえ)した。だって、童話作家というと、なんとなく「子供のような純真で素朴な心を持った善人」というイメージを、持ってしまうじゃありませんか。

ところが、どうも人間ってのは、そう単純なものではないらしい。いやいや、そういうイメージを勝手に持つことの方が、おかしいのだ。世の 芸術家たちを見れば、その作品とクリエーターの人格とは何ら関係はなさそうじゃないか。

たとえば、ワーグナー。彼は厚顔無恥を絵に書いたような俗物で、バイエルンのルートヴィッヒ二世に、たかりまくって生涯を終えた。ピカソだって、自分の女を雑巾のように扱って平気な男だったし。
  
ユトリロは、子供のころからアル中で、ゴッホは精神錯乱、ゴーギャンは梅毒。呑んだくれのヴェルレーヌは、傲慢なランボーを殺しそこなったし、イギリスの画家ダッドにいたっては、本当にダッド(父親)を殺してしまった。高潔な魂と芸術とは、何ら関係はない。
  
となれば、アンデルセンは、いったいどんな人物だったのだろう。
興味を持ってその経歴を調べて、なるほどと、合点がいった。
  
貧しい家に生まれた彼は、若いときから積極的に、著名人や名士のところに出かけて行って、庇護を仰ぎ世話を頼むという生き方をしている。

悪気はないにしろ、自分で汗を流して働くことはせず、他人の好意をあてにして生きてきた。そしてコネを求めて外国に旅に出ては、当代の有名文化人を訪ねてまわった。
  
裕福な他人の援助によって大学まで行けたのは、アンデルセンの人徳といえるのかもしれないが、人に取り入ることの上手な人物であったのは確かなようだ。
  
アンデルセンは、ガズヒルに五週間も滞在した。ずうずうしく居すわるアンデルセンに、おそらくディケンズは、イギリス人お得意の皮肉を浴びせて、何度も出立をうながしたに違いない。

ところが、他人に依存する生き方に慣れきって、それを当然のことのように思うアンデルセンには、そんな皮肉なんぞ、蛙の面に水である。
  
イライラするディケンズと、のうのうと構えるアンデルセン。
この二人の五週間にわたる確執を想像すると、なんだかドタバタコメディのようで、わたしは、おかしくてならない。
それにしても、思いがけないところで、意外な人物に遭遇したものだ。


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