【ツグミ君とクロスケ君 】
カチッ、カチッ。
カチッ、カチッ。
庭のテラスで昼食をとっていると、なにやら、音が聞こえてきた。なんだろうと耳をすますが、わからない。硬いものを打ちつけるような、それでいて、小さな音である。遠くからではない、この庭から聞こえてくるのは、確かだ。
わたしがきょろきょろしていると、夫が、わたしの後の敷石を指差した。
「ほら、スラッシュもランチタイムだよ」
ふりむくと、わたしの背後四、五メートルのところで、体がスズメの三、四倍はありそうな鳥が、なにやら口にくわえている。
よく見ると、くわえているのは、カタツムリではないか。直径が三センチほどの、カタツムリ。カチッというのは、それを石に打ちつける音だったのだ。
スラッシュは、体長が二十センチくらいの鳥で、背は茶褐色で、胸から腹にかけてが白い。その胸全体に、ピッ、ピッと黒い泥水を飛ばしたような、不規則な水玉模様がある。日本でいう、ツグミの仲間である。
このツグミ君の大好物が、カタツムリときているから、フランス人なみのグルメである。日本では、梅雨どきのカレンダーなどに、紫陽花の花とともに描かれているカタツムリ、雨後に見かけるくらいだが、雨には関係なく、ここには、いやというほどいる。
それが、アイリスの葉などを食い荒らすものだから、穴があいて、葉がレースのようになってしまう。せっかく植えた花の苗が全滅して、泣かされたこともある。
そんな、困ったカタツムリを、ツグミ君は退治してくれるのだ。草むらにひそんでいたカタツムリを見つけると、それを、石やコンクリートの上に、持って来る。カタツムリはパニック状態で、殻の奥に身を縮めている。
ツグミ君は殻の入口(出口?)のところを、しっかりくちばしでくわえると、それをエイヤッと、石に打ちつけるのだ。
カチッ、カチッ。
まだ割れない。
頭を振って、懸命に打ちつける。
カチッ、カチッ、カチッ。
おっ、割れた。殻の破片が飛び散った。
やあ、出てきた、出てきた、ジューシィなカタツムリが。
ツグミ君はおいしそうに、もりもり食べる。
それにしても、殻を砕く道具として石を使うとは、なんと賢い鳥だろう。この発見以来、庭でカチッという小さな音が聞こえると、わたしはそこに静止して、バードウォッチングに興じるようになった。
朝、洗濯物を干しに庭に出ると、サンダルの下でカシャッと音がする。知らずに踏んでしまったのはカタツムリの殻。見ると、テラスのあちこちに壊れたカタツムリの殻が散らばっている。ははあ、ツグミ君たち、きのうの午後は大宴会だったな。
カチッという音、そしてカシャッという音。ツグミ君たちが、ちゃんと食事にありついていること、そしてカタツムリが増えすぎないよう、わが庭の生態系が保たれていることを、これらの小さな音が、教えてくれるのだ。
野鳥に餌付けをしているわが家の庭では、かなりの種類の鳥が、やって来る。ツグミ君とならんで、うちのおなじみさんは、ブラックバードである。これは名前のとおり、体がカラスのように真っ黒。
しかし、体長は三十センチ弱と、カラスよりずっと小さい。オレンジ色に近い黄色のくちばしの鮮やかさと、黒いボディとのコントラストが素敵な、お洒落さんである。しかも、なかなかの歌い手なのだ。
ピィー、ピィー、ピュルルル、ピュルルルと、澄んだ高い声でリンゴの梢で鳴いているのを聞くと、いつかトスカーナの田舎で聞いた、ナイチンゲール(小夜鳴鳥)の歌声に、まさるとも劣らぬ歌唱力、うっとりと聞き惚れる。
野鳥の本を調べると、ブラックバードの日本名は、クロウタドリと載っている。まさしく黒歌鳥。しかし、日本には生息していない。
真っ黒けのクロスケ君の大好物は、ミミズである。ミミズというものはふつう、土の中にいる。彼もまた、それを食べる素晴らしいテクニックを、見せてくれるのだ。
クロスケ君が芝生に降りてくると、わたしは、テラスに続くガラス戸越しに、バードウォッチングを始める。ガラス越しだと、近くで見ても、彼が警戒しないからだ。
芝の上を、両足をそろえてチョン、チョン、チョンと跳びまわっていたクロスケは、ふっと足をとめる。じっと静止したまま地面を見て、頭を「ん?」という感じでかしげる。
「ん?、ん?」と頭を右にかしげたり、左にかしげたり。このしぐさが、たまらなく可愛い。どうもこれは、地表の近くにやってきたミミズの動きを、耳で聞いているらしいのだ。
わたしは不明にして、鳥類の感覚についての、生物学的知識はないが、もし匂いを嗅いでいるのなら、鼻(どこにあるんだ?)を地面に近づけるだろう。ちょうど、土中のトリュフを探す犬や豚が、やるように。
しかし、頭をかしげるしぐさは、どうも耳(どこにあるんだ?)を傾けているように思えてならない。もし、目で地面のわずかな動きを見ているのなら、頭をかしげなくても、よさそうなものだ。
ミミズが、地表すれすれに上がってきた、その瞬間、その地点を、正確にキャッチして、クロスケは、ニセンチほどのくちばしで、土を掘り起こす。そして、ミミズをくわえて、引っぱり出すのだ。しかしミミズとて、あらん限りの力をふり絞って、抵抗する。
その死闘で、ミミズはピーンと張った一本のひもになる。
地面とクロスケのくちばしとを斜めに結んで、伸びるだけ伸びたひもが、プツッと切れることは、ないのだろうか。
ズリッ、ズリッと、綱引きの綱を引くようにして、後退するクロスケに、伸びきったゴムひも状態のミミズの抵抗も、限界が近づく。
ついに力つきて、スポーンと地面から抜け出たミミズが、だらりと、クロスケのくちばしから、ぶらさがった。空しく、そして弱々しく、最後のあがきに身をくねらせるミミズをくわえて、彼は、まるでスパゲッティを召し上がっているように見える。
ミミズは、土を耕してくれる功労者だから、あまり犠牲になってほしくはないのだけれど。かといって、クロスケ君も、喰わねばならず。
自然界の掟は、ままならない。
ある日のこと。
お昼にまた、例のカチッ、カチッという音が、聞こえてきた。
おー、ツグミ君、やっちょる、やっちょる。
何度見ても飽きない、ツグミ君の殻割りテクニック。
目を細めて眺めていた、そのとき――
シュッと、リンゴの木の上から、黒い陰が降りてきた。や、クロスケじゃないか。
彼は、いきなり芝の上をタタタタと走って、敷石の上で、今まさにごちそうにありつかんとするツグミ君に、突進した。あわてて逃げるツグミ君。もちろん、カタツムリは置いたまま。
こらー、クロスケ! ずっるーい!
彼は、リンゴの木の上から、ちゃーんと見ていたのだ。ツグミ君が、一生懸命殻を割っているのを。そして、割れた瞬間、しかも、それをツグミ君がくちばしで取り出す直前の、絶妙のタイミングを狙って、降りてきて、横取りしてしまったのだ。
こらッ、クロスケ。人のものを横取りしなくても、あんたはミミズを食べてりゃいいのッ。ツグミ君は、あんたのミミズを横取りしたりしないでしょっ。
あら。
そういえば、なぜスラッシュは、ブラックバードのように、ミミズを取って食べないのだろう。
――おそらく、体力的に無理なのではないか。ブラックバードが、抵抗するミミズを、土から引っぱり出すさまを思い起こすと、かなりの力がいる。ブラックバードより小柄で軽いスラッシュには、綱引きに勝つだけのパワーが、ないのだろう。
それに対して、ブラックバードがカタツムリの殻を割ることは、体力的には何ら問題はない。しかし、クロスケが殻を割るのを、見たことがない。彼は、いくらツグミ君の殻割りを見ても、それを真似ることはないのだ。脅して、横からさらって行くだけ。
体が大きく、力もあるなら、殻割りなんぞ簡単なことだろうに。なぜブラックバードは、学習しないのだろう。
不思議である。
★ 次のエッセイへ★ トップページへ