大きな古時計

イギリス生活よもやま話【エッセイ】

プロフィール

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Teeka(フリート妙子)。イギリス人と結婚して、イギリス南東部に住んで、15年が過ぎました(はっや〜い!)。
夫とのなれそめは、よくある話なんですが、彼がわたしの英語の先生だったことです。
静かな海辺の田舎町で、教師を退職した父ちゃん(夫)と、ふたりで暮らしています。

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大きな古時計

2002年の暮れに帰国して、私は何年ぶりかに、まともに紅白を見た。暖かい部屋でコタツでゴロリと横になって、みかんなんぞを食べながらテレビを見ていると、それだけでもう、ああ、シアワセ……。

たったそれだけのことで、とお思いのあなた。あのですね、「おコタ・おみかん・テレビ」という日本ではどうしょうもないほど普通の3点セットが、イギリスでは手に入らないのであります。

だからそれだけでもう、幸せなんであります。イギリスにいる日本人の友達も「うん、それ、わかるわあ」と、しみじみとうなづいておりました。

さて、そうやって冬の夜のシアワセ3点セットにひたっていると、平井堅という歌手が出てきて、いやあ、驚いた。古時計の歌を歌いだすんだもの。あんな大昔の19世紀の歌が、21世紀の日本で流行っていたとは、知らなんだ。

今ごろになって、どうしてまた? あれは小学校で習ったんだっけ? 
それともNHKの「みんなのうた」?
遠い記憶のかなたに埋没してはいるけれど、そのメロディだけは鮮明に蘇る、なんともなつかしい歌である。

もう、かれこれ六、七年前のこと――
わたしは、ヨークシャーからノーサンバーランドに向かう、旅の途にあった。

ブロンテ姉妹ゆかりの地であるハワースから北上して、ダラム州に入り、ダーリントンという町の郊外に、宿をとった。その晩、あかあかと燃える暖炉の前で、宿のおかみさんが、こんな話を聞かせてくれたのだ。


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今から百年以上も昔、イギリスでの旅の交通手段といえば、乗合馬車だった。街道の要所要所に、コーチング・イン(馬車が停まる旅籠屋)があり、そこで馬を交代したり、その日の走行を終えた馬車や乗客が、宿泊したりした。

そんな古いコーチング・インの一つが、ダーリントンから八キロばかり西の、ピアスブリッジという町にある。名をジョージ・ホテルという。

ジェンキンズという兄弟がやっていたそのホテルは、彼らの暖かく、実直な人柄のせいで、とても評判が良く、旅人にとって、憩いの宿となっていた。

そのホテルのロビーには、高さが二メートルを超える、大きな時計があった。ジェンキンズの兄さんが生まれた日に、買って来たものだという。その日以来、大時計はチクタク、チクタク、一秒たりとも休むことなく、時を告げていた。

大きな振り子が、右へ左へ揺れるのを、一心にみつめる小さな少年。
この巨人のような大時計を、どんなに自慢に思っていたことか。
そして、どんなに大切に思っていたことか。
大時計は、そんな少年の心を、みんな知っていた。

重ねた歳月の、数えきれない喜びの時。楽しい時。笑いにはじける時。
そしてまた、数えきれない悲しみの時。寂しい時。涙にくれる時。
大時計は、そんな男の心を、みんな、みんな知っていた。

この時代、時計はまだ精度が良くなかったために、狂うことの方が普通であった。そんななかで、ジョージ・ホテルの大時計だけは、正しく時を刻むので、町でも大評判。そして、宿泊客が馬車の出発の時刻を知るのに、大いに貢献していた。

ところが、ある日のこと。
ジェンキンズの弟が、病に斃(たお)れて、亡くなった。すると、不思議なことに、あれほど正確だった時計が、少しづつ遅れるようになった。それは、日に日にひどくなって、ついに、一日に十五分も狂うようになった。

何度も何度も、修理に出したが、治らない。とうとう、修理をあきらめた頃には、一日に一時間以上も遅れる始末。そしてこんどは、その狂いが、人々の口の端に上るようになった。

弟が亡くなって一年余り経ったある日、兄が逝った。
九十年の生涯だった。
訃報を聞いて、ホテルに駆けつけた人々の見たものは――

ひっそりと、動きを止めた大時計。
振り子はもう、ピクリとも動かない。

あれほどいっぱいに、ネジを巻いてあったというのに……。そして針は十一時五分、ジェンキンズが息を引きとった時刻を指したまま……。

生涯独身だった兄弟が亡くなると、ジョージ・ホテルは人手に渡り、宿には、新しい主人がやってきた。しかし、これまでの経緯を知った主人は、もう時計を修理に出すことはやめ、暖かな光が射し込むロビーの片隅に、そっと安置した。


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1874年、アメリカの作曲家ヘンリー・ワークが、劇場公演の巡業でやって来た。そして、このジョージ・ホテルに泊まった。そのとき、動いてもいない古時計が、なぜロビーにあるのか気になり、宿の主人にたずねると、その不思議な話を、聞かせてくれたのだ。

これに感銘を受けたワークは、その晩一晩中かかって、一気に曲を書き上げた。そして完成したのが「My Grandfather's Clock」。歌詞は、実在しなかったジェンキンズの孫を想定して、孫が祖父の時計を語る、という形で書かれている。

ワークがアメリカに帰ってこの曲を発表すると、たちまち大ヒットとなった。以来、この歌は時を越え、世界中で歌い継がれている。

九十年、一人の男の人生を刻み続けてきた、大時計。喜びも、涙も、ともにわかちあい、そして、主人とともに息絶えた時計。

それが今も、ピアスブリッジのジョージ・ホテルにある。
ロビーの片隅で、柔らかな陽を浴びて安らかに眠っている。
針は今も、十一時五分を指したまま――。


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